社員が育つ会社は何を教えている? 急成長する化粧品会社が「中国古典」を研修に取り入れる理由

人材を採用しても、なかなか定着しない。若手や中堅社員のモチベーションをどう高めればいいのかわからない。優秀な社員を管理職に抜擢したものの、今度はマネジメントに苦戦する――。
社員の定着や育成、組織へのエンゲージメントは、企業の規模を問わず、多くの経営者や人事担当者を悩ませるテーマになっています。給与や福利厚生を充実させることはもちろん重要です。しかし、それだけで人が育ち、仕事への意欲や組織への信頼まで高まるとは限りません。では、会社は社員に何を提供すればいいのでしょうか。
そんな人材育成のヒントを、意外なところに求めている企業があります。化粧品ブランド「MTメタトロン」を展開する株式会社MTコスメティクス(以下、MTコスメティクス)です。役職者を中心とする社員たちが定期的に学んでいるのは、最新の経営理論ではなく、2,000年以上前の中国古典。一見、美容とは縁遠く思える古典の知恵を、人や組織を考えるための研修に取り入れています。
MTコスメティクスは、美容クリニックやエステティックサロンなど、美容のプロフェッショナルにも製品を展開し、成長を続けてきた化粧品会社です。新しい美容成分や技術が次々と登場し、SNSによって消費者が触れる情報量も飛躍的に増えた美容業界。
その変化の速い世界で成長を続ける企業が、あえて古典を社員教育に取り入れているのは、なぜなのか。背景には、代表取締役社長 板橋理恵さんが経営を通してたどり着いた、「会社を成長させるには、商品だけでなく、人を育てなければならない」という考えがあります。
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「美容の知識」だけでは、いい仕事はできない
MTコスメティクスでは月に1回、中国古典を学ぶ社内研修を続けています。講師を務めるのは、『PRESIDENT』『dancyu』の元編集長で、中国古典にも造詣の深い神田久幸さん。板橋さん自身も以前から中国古典を学び、経営上の判断に迷ったときや、人との関係について考えるときなど、折に触れて古典の知恵に立ち返ってきたといいます。
化粧品会社であれば、肌の構造や成分、商品知識、カウンセリング技術など、社員が身につけるべき専門知識はいくらでもあります。それでも、あえて中国古典を学ぶ理由について、板橋さんはこう話します。
「私たちは化粧品会社ですから、美容や商品について学ぶことはもちろん欠かせません。でも、どれほどよい商品をつくっても、それを企画するのも、伝えるのも、お客様に届けるのも、結局は人です。専門知識だけではなく、人をどう見るのか、物事をどう捉えるのか、自分自身はどうあるべきなのか。そういうことを考える時間も、仕事には必要だと思っています」
研修で目指しているのは、中国古典の知識を社員に覚えてもらうことではなく、「一人ひとりが自分なりの『判断の軸』を持つこと」とのこと。実際に仕事において「どちらを選ぶべきか」「この人に任せていいのか」「意見が違う相手とどう向き合うのか」など、マニュアルだけでは答えの出ない場面が少なくありません。
そこで、2,000年以上にわたって読み継がれてきた人間への洞察を、現代の仕事に置き換えて考えてみる。一見すると美容とは遠く離れた中国古典が、同社では人と組織を考えるためのケーススタディになっているのだそうです。
2,000年前から「上司と部下」はわかり合えなかった?
たとえば、最近の研修で取り上げているのは、中国・戦国時代の思想書『韓非子』。そこに描かれているのは、人は何によって動くのか、組織をどう治めるのか、部下をどう評価し、リーダーは何を基準に判断するのか、といった極めて現実的な人間観です。
ある日の研修で取り上げられたテーマは、「上下、一日に百戦す」。文字だけを見れば、ずいぶん物騒です。しかし現代の会社に置き換えてみると、途端に身近な話になります。経営者と社員、上司と部下、本社と現場。同じ会社に所属し、同じ目標に向かっているつもりでも、立場が変われば見えている景色は異なり、それぞれの利害も完全には一致しません。
「同じ会社なのだから、同じように考えているはず」。そう思い込むことが、むしろ組織のすれ違いを生むことも。意見が食い違ったとき、「なぜわかってくれないのか」と考えるのではなく、「この人の立場からは、何が見えているのだろう」と考えてみる。2000年以上前の人間観が、現代の職場におけるコミュニケーションを見直すきっかけになるのです。
古典を「正解」にしないから、社員研修になる
MTコスメティクスの研修で興味深いのは、古典に書かれていることを「正解」として教えているわけではない点です。大切にしているのは、「これを、今の自分たちの仕事に置き換えたらどうなるだろう?」と考えること。
中国古典には、人間の善意を前提としない冷徹な思想もあれば、現代の価値観では、そのまま受け入れにくい考え方もあります。だからこそ、考える材料になります。古典に書いてあるからすべてが正しいということではなく、そこに描かれた人間の姿を材料にして、自分ならどう考えるのか、今の会社だったらどうするのか。それぞれが考えるきっかけとなる。
同じテーマについて社員が一緒に考え、意見を交わす。その積み重ねによって、「こういうとき、私たちは何を大切にするのか」という共通言語も、少しずつ組織の中に育っていきます。
社員研修というと、つい「何を教えるか」に目が向きがちです。しかし、人材の定着やモチベーションを考えるなら、知識やスキルを与えるだけではなく、社員自身が考え、成長を実感できる環境をどうつくるかという視点も欠かせないのかもしれません。
人材育成に「一塗りで変わる魔法」はない
中国古典の学びの効用は、薬膳や漢方薬に似ています。社員が潜在的な能力を活かすことに目覚め、ひいては組織風土をも変える可能性を持っていることです。むしろMTコスメティクスの取り組みから見えてくるのは、研修を一過性のイベントとして終わらせず、社員が自分自身や仕事、組織について考える時間を継続的につくることの意味です。
月に一度、日常業務から少し離れ、2,000年前の人間や組織について考える。古代中国の話をしていたはずが、いつの間にか現在の上司と部下、人材登用、リーダーのあり方、そして自分自身の仕事へとつながっていく。古典を学ぶこと以上に、そこから「自分たちならどうするか」を考える時間そのものに価値があるのだと言えます。
AI時代だからこそ、2,000年前の「人間」を学ぶ
生成AIをはじめとするテクノロジーの進化によって、仕事の風景は急速に変わっています。知識を調べる。文章をつくる。データを整理する。これまで人が多くの時間を費やしてきた仕事の一部は、すでに大幅に効率化されました。
一方で、会社で起こる問題に目を向ければ、そこには今も「人」がいます。誰に仕事を任せるのか。意見の違う相手とどう向き合うのか。リーダーは何を基準に判断するのか。個人と組織、それぞれの利害をどう調整するのか。
技術が劇的に進歩しても、人が抱く欲や不安、嫉妬、期待、信頼といった感情は、2,000年前とそれほど変わっていないのかもしれません。だとすれば、最新のテクノロジーを学ぶ一方で、長い時間をかけて読み継がれてきた古典から「人間」を学ぶことにも意味があります。
一見すると意外な、化粧品会社と中国古典という組み合わせ。その間には一本の軸が通っています。商品を企画するのも、つくるのも、届けるのも人。会社を動かすのも、お客様との信頼を築くのも人。だからこそ、人について学ぶ。
社員の定着やモチベーション向上に、「これさえやればいい」という答えはありません。ですが、企業が社員に提供できるものは、給与や待遇、業務スキルだけではないはずです。
「この会社で、何を学び、どんな人に成長していけるのか」。 MTコスメティクスが中国古典を社員とともに学び続ける取り組みは、人材育成に悩む企業に、そんな新しい問いを投げかけています。