40Hzの音で認知症にアプローチ? ガンマ波サウンド「kikippa」を導入した介護現場で起きた変化

少子高齢化が進む日本。現在、65歳以上の高齢者は総人口の約3割を占めているが、数十年後には約4割弱、2.6人に1人が高齢者となる未来が予想されている。それに伴い、懸念されているのが認知症患者の増加だ。政府の推計では、2040年には65歳以上の高齢者のうち約6.7人に1人、2060年には約5.6人に1人まで割合が高まるとされており、認知症への対策や研究は、いま重要な課題となっている。
認知症への対策と聞くと、薬による治療や食事、運動などを思い浮かべる人が多いかもしれない。そんななか、近年研究が進められているのが「40Hz」の音を使ったアプローチだ。
日本では、ピクシーダストテクノロジーズ株式会社(以下、PxDT)と塩野義製薬株式会社(以下、塩野義製薬)が、日常の音を40Hz周期に変調した「ガンマ波サウンド™」を共同開発。テレビなどを見ながらその音を聞ける「kikippa」も商品化されている。
なぜ「40Hzの音」が認知症研究で注目されているのか。その知見を、どう日常生活の中で使える音へ落とし込んだのか。そして介護現場では、どのような変化がみられているのか。PxDT事業部長・辻未津高さんと、介護老人保健施設「国立あおやぎ苑」の施設長で、医師の武田行広さんに話を伺った。
目次
なぜ「40Hzの音」が認知症研究で注目されているのか
私たちの脳では、神経細胞の活動に伴ってさまざまな周期の脳波が生じている。そのひとつである「ガンマ波」は、記憶や認知機能と関係があるとされ、かねてから認知症との関連について研究が進められてきた。
その研究を大きく前進させたもののひとつが、2019年に発表された米マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究グループによる研究だ。アルツハイマー病の病態を再現したマウスに40Hz周期の音刺激を与えたところ、脳内に40Hz帯域の神経活動が誘導され、聴覚野や海馬で、アルツハイマー病の病態と深く関わる「アミロイドβ」の減少などが報告された。
40Hz周期の音や光などの感覚刺激によって、脳内に40Hzのガンマ周波数帯の活動を誘導し、アルツハイマー病との関係を探る研究は、その後、人を対象とした臨床研究へと広がっている。一方で、その効果や作用については、現在も検証が続けられている段階だ。
こうした研究知見を、より日常生活の中で取り入れやすい形にしようとしたのが、PxDTと塩野義製薬だ。
「ながら」で続けられる音を。kikippa開発の裏側

kikippa スピーカー 本体価格 49,500円(税込、別途サービス利用料が必要)
PxDTと塩野義製薬が共同開発した「kikippa スピーカー」は、テレビの音声を独自技術で40Hz周期に変調した「ガンマ波サウンド™」に加工して出力するスピーカーだ。テレビやPCなどと接続することができ、普段通りの生活を送りながら40Hz周期の音を聞けるのが特徴となっている。
この利用設計において、PxDTと塩野義製薬が重視したのは、普段の生活を大きく変えずに取り入れられることだった。同社 執行役員 ヘルスケア本部長 辻未津高さんは、「『ながら』でできるアプローチを重視した」と話す。

PxDT 執行役員 ヘルスケア本部長 辻未津高さん
「脳のエイジング対策のひとつとして生活習慣を変えようといっても、長年の積み重ねがある高齢者にとってそれは、周囲が思う以上にハードルが高いものです。ならば逆に、テレビを見たり、音楽を聴いたりといった、普段の行動にkikippaを組み込めば意識せずとも継続的に使ってもらえるのではないかと考えたんです」
辻さんによると、先行研究で使われていたのは「ブー」という不快度が強い刺激音だったため、日常的に聞くには音を工夫する必要があった。その一方で、完全に刺激を失くしてしまえば、「機能しているのか?」や「効果を感じにくい」といった製品の不信感を抱く要因にもなる。
音の変化が強すぎれば聞き続けにくい、弱くしすぎても開発側が狙う刺激との両立が難しくなる。その間を探る試行錯誤を続けたうえでたどり着いたのが、出力先から流れる音全体を一律に変調しないことだった。
「テレビの場合は、流れてくる音を抽出・分解し、話す人の声は震わさずに背景音のBGMを震えさせるような加工を加えています。人は何をもって聞き取りの印象を判断しているのかを分析することで、ちょうどよいバランスを構築しました。青汁でいうと、すごく苦い青汁をフルーツ青汁ぐらいにする。このバランスを取ることにとても苦労しましたね」(辻さん)
こうして開発されたガンマ波サウンドを搭載したのが、テレビなどにつないで使う「kikippa スピーカー」だ。2025年には、ガンマ波サウンドをより幅広い場面で利用できるよう、オープンイヤー型の「kikippa イヤホン」も発売されている。
「音で認知症が変わるのか?」医師が見た変化
「kikippa スピーカー」は、すでに認知症の人が暮らす介護施設にも導入されている。その一つが、東京都国立市にある介護老人保健施設「国立あおやぎ苑」だ。
全46床の認知症専門棟を備える同施設で、施設長を務める医師の武田行広さんは、以前からMITの研究を知っていたものの、当時はマウスを対象とした研究だったこともあり、40Hzの音による認知症へのアプローチについては懐疑的に見ていたという。

介護老人保健施設 国立あおやぎ苑 施設長 武田行広さん
転機となったのは、kikippaが実際に商品化されたことだった。新聞広告で存在を知った武田さんは、「どのようなエビデンスで商品化に至ったのか」を確かめようと、自ら塩野義製薬やPxDTに問い合わせた。
「開発側と話すなかで、まだ十分なエビデンスはない一方、安全性を確保したうえで販売しているという話が出たんです。それならば、自らの施設で使いながらデータを取ることで、検証の一助になるのではないか。そんな考えから、導入を決めました」(武田さん)
2023年12月より、認知症患者が入所するフロアのテレビに「kikippa スピーカー」を接続し、ガンマ波サウンドを流し始めた。
最初に変化を感じたのは、リハビリを担当する療法士だったという。ある認知症入所者は、療法士が手をつないでリハビリへ誘っても振り払い、ときにはつねって拒否することもあり、リハビリを始めても、30秒と続かなかった。
ところが導入から1ヶ月ほどたったころ、30秒も持たなかったリハビリが3分、5分とだんだん伸びてきたと理学療法士から報告があったという。
さらに武田さん自身にも、印象に残る出来事があった。普段の回診では物を投げられたり、診察を拒まれたりすることもあった入所者が、導入から2ヶ月ほどたったころ、自ら声をかけてきたという。
「向こうから『こんにちは』って言ってきたことがあって。そのときは思わず涙が出そうになりました」
3ヶ月ほどすると介護スタッフからも「以前より穏やかになり、暴言や拒否が減ってきた」との声が聞かれるようになった。

ただし、こうしたエピソードだけでは、ガンマ波サウンドによる変化だったとは判断できない。同施設では当初からデータを取ることを予定し、数値でも変化を追った。
アルツハイマー型認知症と診断された、またはその疑いが強い15人を対象に1年間の検証を行ったところ、認知機能をみる30点満点のHDS-Rの平均点は、導入時の9.0点から6ヶ月後に9.3点、1年後に10.1点となった。
HDS-Rの平均点は、数値が高い方が認知機能が保たれていることを示すが、武田さんによれば、現時点では統計的な有意差には至っていないという。
一方、暴言や介護拒否などの行動・心理症状(BPSD)を評価するDBD-13の平均点は、17.5点から6ヶ月後に14.8点、1年後には13.9点へ低下した。DBD-13は点数が低いほど症状が少ないことを示し、この変化には統計的な有意差が認められた。

「HDS-Rについては、数値の上昇はみられたものの、統計的に明確な変化といえる段階には至っていません。ただ、認知症は進行性の疾患ですから、数値が大きく悪化せずに推移していることにも意味があると言えます。
BPSDの変化は大きかったですね。認知症の介護では、暴言や暴力、介護拒否、徘徊といった周辺症状への対応がケアする側にとって大きな負担になります。そこに変化がみられたことは、当人だけでなく、そのご家族や、医師、現場のケアラーにとっても重要なことだと考えています」
もちろん、この検証を経たとしても、人における40Hzの音やkikippaがどれほど効果があるかはまだ結論づけることはできない。それでも武田さんは、実際の介護現場でみられた変化やDBD-13の結果を踏まえ、さらに検証を続ける意義があると考えている。
認知症発症前から40Hzの音を聞けば、予防につながるのか
これまで、40Hzの音を軸としたアプローチについて、高齢者や認知症の人を中心に話を進めてきたが、その恩恵は必ずしも認知症を発症した人だけに限られるものではない。武田さんが注目しているのは、むしろ認知症を発症する前の段階だ。
「アルツハイマー型認知症は、75歳前後が発症のピークとされていますが、アミロイドβの蓄積自体は、その20年ほど前から始まると考えられています。つまり、ちょっとした物忘れを自覚するようになる40代後半や50代頃から脳内に蓄積するアミロイドβを脳の外へ排出する能力の衰えが始まっていると推測されます。その時期に、40Hz変調音声刺激によってアミロイドβを排出する能力を高めることこそが将来の認知症の予防につながると思います」
一方、PxDT側も、研究を続けている。辻さんによると、今後の研究は大きく3つある。より聞き心地のよい音を目指す「音質の改善」、誰にどのような影響があるのかという「人を対象としたエビデンスの蓄積」、そして「なぜそうした影響が生じるのか」というメカニズムの検証だ。
製品開発でも、現在のテレビや音楽以外の場面でガンマ波サウンドを取り入れられる方法を検討しているという。
家庭や介護施設へと活用の場を広げる一方、その影響やメカニズムにはまだ明らかになっていないことも多い。40Hzの音が認知症をめぐる新たなアプローチになり得るのか。その答えを探る研究と人々の想いは、未来に向けていまも動き続けている。
ピクシーダストテクノロジーズ株式会社
2017年5月設立。東京都中央区に本社を置く、先端技術の研究開発・社会実装を手がける企業。音や光などの波動制御技術を強みとし、ヘルスケアやコミュニケーション支援などの領域で事業を展開する。主な製品には、塩野義製薬と立ち上げたガンマ波サウンドスピーカー「kikippa」、会話をリアルタイムで可視化する「VUEVO」、超音波技術を活用した「SonoRepro」などがある。2023年8月に米NASDAQ市場へ上場し、その後非上場化。代表取締役会長は落合陽一氏、代表取締役社長は村上泰一郎氏。
取材・文:石田千尋
写真・編集:土田洋祐