「美しくありたい」は贅沢ではない――乳がん経験から見えた社会課題とビジネスの可能性

人は、自分が本当に困ったときに初めて見える景色がある。ドクターズコスメブランド「MTメタトロン」を展開する「MTコスメティクス(株)」代表取締役・板橋理恵さんにとって、それは乳がんの罹患だった。治療によって変化する外見。揺らぐ自己肯定感。そして、「病気なのだから見た目は後回し」という社会の空気。その経験は、やがてアピアランスケアという社会課題への気づきとなり、新たな価値創造へとつながっていく。 そこには、多くの経営者が学ぶべきビジネスの本質があった。
ドクターズコスメを支える創業当初からの想い
板橋さんが化粧品の開発において大切にしてきた考え方として、お客様の肌に寄り添い、心身共に幸せになれる製品やサービスを届けたい、という想いである。
皮膚と脳は発生学的に同じ外胚葉から生まれ、互いに密接な関係を持つ。肌の状態が心に影響を与え、心の状態もまた肌に表れる――東洋医学や神経科学にも通じる考え方だ。実際、肌の調子が良い日は気分が前向きになり、逆に肌トラブルを抱えていると、自信を失い、外出やコミュニケーションに消極的になるという経験がある方も多いのではないだろうか。
板橋さんはこうした考え方をベースに、「単なる化粧品」ではなく、心と肌の両方に寄り添うドクターズコスメを開発してきた。
自身の乳がん経験が気づかせたこと
そんな板橋さんの理念を、さらに深いものへと変えたのが自身の乳がん経験だった。治療による身体的な負担はもちろん、外見の変化が想像以上に大きな心理的影響を与えることを実感したという。脱毛、肌質の変化、顔色の変化。それらは単なる美容上の悩みではない。
「人と会いたくない」
「仕事に復帰する自信が持てない」
「以前の自分ではなくなってしまった気がする」
命を救うことはもちろん最優先事項である。しかし、その後も自分らしく生き、働き、人と関わり続けるためには、外見や自己肯定感へのケアもまた重要な意味を持つ。
だからこそ板橋さんは、「患者が見た目にこだわることに遠慮はいらない」と語る。外見を整えることは決して贅沢なことではない。それは、自分らしさを取り戻し、社会とのつながりを維持するための大切な手段でもあるからだ。
かつて日本では、がん患者の外見ケアは、治療に比べて優先順位が低いものと捉えられる傾向があった。しかし近年は、国立がん研究センターや厚生労働省も「アピアランスケア」の重要性を発信している。
アピアランスケアとは、がん治療に伴う脱毛や肌トラブル、爪の変化など、外見の変化による悩みを支援する取り組みを指す。近年では、こうした外見変化への支援が患者のQOL(生活の質)向上につながることが広く認識されるようになってきた。

板橋さんが代表を務めるMTコスメティクス(株)は、ピンクリボン運動を推進するJ.POSH(日本乳がんピンクリボン運動)のオフィシャルサポーターとして支援活動を行っている。しかし、板橋さんが見出したのは社会貢献の意義だけではなかった。
社会には、まだ言語化されていない困りごとが数多く存在する。そして、その困りごとを解決しようとするところに、新たな市場や事業機会が生まれる。自身の経験を、「社会が必要としている価値は何か」を考えるきっかけへと昇華させたのだ。社会の中に埋もれている課題を見つけ出し、新たな価値へと変えていく。そこには多くの経営者や起業家にとって重要な視点と言えるのではないだろうか。
板橋理恵
MTコスメティクス(株)代表取締役社長。立教大学法学部卒業後、百貨店や旅行会社、国会議員秘書などを経て起業。1998年にハワイでサプリメント通販事業を開始し、その後、美容医療向けスキンケアブランド「MTメタトロン」を開発。2005年にMTコスメティクスを設立した。現在は美容クリニックやエステサロン向けの高機能スキンケア製品を国内外で展開している。著書『綺麗と算盤』(日経BP社)