bizSPA!フレッシュ

今がつらくても「最後はとんとん」猪木と異なる路線でプロレスをV字回復させた棚橋アニキの人生論

ビジネス, 学び

アントニオ猪木のドキュメンタリー映画〈アントニオ猪木をさがして〉(配給:ギャガ)が10月6日(金)から全国公開される。

同映画にも出演した、新日本プロレスの棚橋弘至選手は「100年に一人の逸材」と称され、猪木が去った後の新日本プロレスを新生させた。

プロレスの技量はもちろん、金色メッシュのロングヘアにロック系のファッションに身を包むなど、独自のスタイルで新しいファンを獲得し、創設者・猪木のカラーを一新した人物だ。プロレスファンでなくても棚橋選手の顔を、どこかで見た覚えがあるに違いない。

しかし、低迷を続けた新日本プロレスの新生は容易ではなかった。「神」のような創設者アントニオ猪木の幻影を振り払い、新たなイメージを立ち上げ、東京ドームを満員にするほどのプロレス人気を選手の立場からⅤ字回復させた棚橋選手は、どのような思いで人生を歩んできたのか。

bizSPA!フレッシュの若い読者たちにも役立つ人生論をライターの夏目かをるが聞いた(以下、夏目かをるの寄稿)。

・関連記事
>>>恐れず上司に意見した後の「対価」とは。プロレス界のエースがアントニオ猪木に物申した日

これまでのキャリアは何だったんだろうと凹んだ

プロレスファンには言わずもがなの話だが、プロレスファンではない読者に対しても、棚橋選手の成し遂げた偉業を最初に説明した方がいいはずだ。

全身性アミロイドーシスという難病と闘いながら2022年(令和4年)10月1日、79歳で永眠したアントニオ猪木が、1972年(昭和47年)3月6日に旗揚げした新日本プロレスは、昭和から平成にかけて圧倒的な影響力を誇っていた。

映画〈アントニオ猪木をさがして〉メイン写真 ※写真:原悦生

プロレスの社会的な地位を引き上げ、マイノリティな存在をメジャーに格上げした人が猪木だ。しかし、1998年(平成10年)にその猪木が引退すると、娯楽の多様化と共に、プロレス人気は徐々に下火になっていく。

その状況を変えようと猪木は「格闘技路線」を打ち出し、総合格闘技のPRIDEや立ち技格闘技のK-1など、当時人気を誇った格闘技大会にプロレスラーを送り込むようになる。

しかし、その流れに反発した新日本プロレスの人気選手が退団の動きを見せる。

棚橋選手も「格闘技路線」に反対する選手の一人だった。その様子は、10月6日(金)に全国公開される〈アントニオ猪木をさがして〉(配給:ギャガ)にも描かれている。

その後、新日本の経営から猪木が身を引くと、絶対的エースの立場からプロレス界をけん引して、Ⅴ字回復を実現した人が棚橋選手だった。

創設者であり「神」のような存在の猪木イズムが色濃く残る新日本プロレスを選手の立場からどのようにして棚橋選手は再生していったのか。

そのヒントは猪木が、新日本プロレスから完全に退いた翌日、道場(練習場)に飾られた猪木の等身大写真パネルを、新日本プロレスのトップとなった棚橋選手が外した行動にある。

映画の一コマ ※チラシ裏面使用

詳細はぜひ、映画〈アントニオ猪木をさがして〉で確認してほしいが一体、どのような狙いがあったのか。

「まず、猪木さんの心の中を考えましたね。新日本プロレスを去って、別の場所で活躍する猪木さんにとって、自分の写真をいつまでも道場に飾られていたら嫌だろうなと思ったんです。

猪木さんが、パネルを外しても『なんだよ、外すなよ』と怒りもしないでしょうし。

また、猪木さんの心中を察すると共に、新日本プロレスが新たなスタートをこれから切るという意志表明がありました」(棚橋、以下、敬略称)

パネルを外せば、猪木ファンが離れていく恐れもある。不安はなかったのか。

「猪木さんが新日本プロレスを去って、大活動している中でしたから、既存ファンに頼らず、新日本プロレスの新しいファンを獲得して新陳代謝を図り、活性化したかったんです。

かつて僕がそうだったように、プロレスをこれから好きになってくれるファンにアプローチしようと決めたんです。そのタイミングで外しました」(棚橋)

棚橋にとってパネル外しは、自分自身の新陳代謝という意味もあったのではないか。

「2010年代に東京ドームを満員にした僕は、ひたすら頑張ってきてV字回復を成し遂げました。

ところが、コロナの影響で試合ができなくなった時期もあった。これまでのキャリアは何だったんだろうと凹んだこともありました。

今は「コロナ」の規制も緩和されて、新日本プロレスをまた僕が盛り上げていかなければならないという決意が生まれたことは確かですね」(棚橋)

同じ土俵に立たない

しかし、映画〈アントニオ猪木をさがして〉では、一度外したはずの猪木の等身大写真パネルを棚橋選手が道場に再び設置するシーンも描かれている。どのような心境の変化があったのか。

「猪木さんに見られているというプレッシャーを感じながら、これからみんなで練習ができる。プロレスを愛するファンのためにも、プロレスの火を絶やさずにしていきたい。そんな願いを込めて再び掲げましたね」(棚橋)

プロレス愛がほとばしる。その上で「パネル外し、パネル戻しというプロレス技を編み出そうかな」と周囲を笑わせる。

「プロレスの火を絶やさずにしていきたい」という願いが生まれると共に、猪木の「闘魂」の言葉についても棚橋選手は、あらためて考えるようになったという。

写真:原悦生

「『闘魂』という言葉は猪木さんが生み出した名言です。

『闘魂』という言葉を使うと僕は、猪木さんと同じ色を持ってしまう。猪木さんから影響を受けたからといって猪木さんと同じ道を歩いても、猪木さんに永遠に追い付けない。だから、頂点に立つために僕は、別のルートで頂点を目指した。同じ土俵に立たないという選択をしたんです。

猪木さんと最もソリが合わなかった人は武藤(敬司)さんでした。猪木さんの『格闘技路線』から分かれた藤波(辰爾)さん、武藤さん、そして僕です。猪木さんの系譜とは別の流れです

ただ、家族とブラジルに移民し、そのブラジルから日本に戻って、社会的にマイノリティだったプロレスを盛り上げた。時代に抗いながらも信念を貫いた生きざまに、あらためて今では感銘を受けています」(棚橋)

新日本プロレスに所属する若手選手(ヤングライオン)から大エースへと成長し、さまざまな苦労を乗り越えて新日本プロレスを成功に導いた棚橋選手だからこそ、プロレスの地位を引っ張り上げようと闘魂を燃やし続けた猪木の気持ちに共感できるようになったのかもしれない。

他にも、大先輩の猪木と共通する点はあるのか。

「頑固だということです。10分でも15分でも、たとえ短い時間でも諦めないところですね。猪木さんが言う、ネバーギブアップですよ!」(棚橋)

時代や境遇こそ違えど「頂点に立つ」という目標も2人は一致しているのではないか。

「そういえばそうですね。そうだったのか。同じ目標だったんだ!」(棚橋)

最後に、bizSPA!フレッシュの若い読者にエールを贈ってもらった。

「コロナの影響で、学生時代に楽しい思い出が少なかったかもしれない。だけど、腐らないでもらいたい。

人生は、いい時もあれば、悪い時もある。誰の人生にもプラスとマイナスが両方あって結局は、とんとんになる。そのことが、この先きっと分かってくる。僕は、人生半ばにして分かってきた。

でも、これからは超いいことがあるぞ! 街を歩いていたら棚橋選手とすれ違うかもしれない。そうなったら、肩を組んで一緒に写真を撮ろうぜ!」(棚橋)

明るい未来が必ずあると熱いメッセージを棚橋選手は繰り返し語ってくれた。

今がつらくて、しんどい毎日を生きる若者の支えに、棚橋選手の熱いメッセージが、アントニオ猪木の闘魂が届けばと願う。

[映画データ]

出演:アントニオ猪木
アビッド・ハルーン 有田哲平 海野翔太 オカダ・カズチカ 神田伯山
棚橋弘至 原悦生 藤波辰爾 藤原喜明 安田顕
番家天嵩 田口隆祐 大里菜桜 藤本静 山﨑光 新谷ゆづみ 徳井優 後藤洋央紀 菅原大吉
ナレーション:福山雅治
主題歌:「炎のファイター〜Carry on the fighting spirit〜」(福山雅治)
監督:和田圭介 三原光尋
製作:「アントニオ猪木をさがして」製作委員会
制作:パイプライン スタジオブルー
配給:ギャガ
©2023「アントニオ猪木をさがして」製作委員会
公式X:@inoki_movie

[取材・文・写真/夏目かをる]

コラムニスト、作家。2万人のワーキングウーマン取材をもとに恋愛&婚活&結婚をテーマに執筆。難病克服後に医療ライターとしても活動。『週刊朝日』『日刊ゲンダイ』「DANRO」「現代ビジネス」などで執筆。
Twitter:@7moonr

おすすめ記事