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日本の入社式は1950年代に確立か。変革や不要論が叫ばれるも根強い人気の入社式の歴史

ビジネス, 学び

株式会社が日本に誕生した時期は1873年(明治6年)らしい。17世紀に、オランダで始まり、ヨーロッパに広まった株式会社の制度は、日本から派遣された使節団らが持ち帰り、日本で始まった。

そこから150年近くが経過した。株式会社を含む会社企業(株式会社・有限会社・相互会社、合名会社、合資会社、および合同会社)の数は今では、170万を超えるという。

その170万社の中で、この新年度に入社式を行った企業も少なくないはずだ。この入社式という文化は一体、いつごろから始まったのだろうか。

そこで今回は、ライターの重田信さんに、入社式の歴史を取材してもらった(以下は、重田信さんの寄稿)。

1950年代には入社式が行われていた

2024年(令和6年)4月1日の朝、大阪・梅田駅周辺を歩いていると、リクルートスーツを身にまとった男女を多く見掛けた。

不安と期待が入り混じったような表情でスマホを見ながら歩く人も居れば、同期と思われる数名と談笑しながらビルへ向かう人も居る。

桜のニュースと並び、4月の風物詩とも言える入社式であるが、そもそも入社式とは一体なんなのだろうか。

〈広辞苑〉(岩波書店)によれば「会社へ入社する際の儀」との記述がある。

また〈大辞泉〉(小学館)掲載の「イニシエーション」を参照すると「ある集団や社会で、正式な成員として承認されること。また、その手続きや儀式。入社式や成人式はその一形態」と書かれている。

ちなみに「イニシエーション」とは「入会式、入社式、通過儀礼」などの意味を持つ英単語だ。「initiation ceremonies for new employees」などと〈The Japan Times〉でも表現されている。

しかし、どの辞書を見ても、入社式の起源は書かれていない。

現在の企業の原型は明治時代までさかのぼる。日本政府が、近代化を推し進めた過程で、多くの偉人が欧米に渡り、学びを持ち帰って国内で起業した。

例えば、近代日本経済の父と称される渋沢栄一は生涯で、約500以上の企業の創設や支援に携わったとされる。

渋沢栄一について書かれた書籍は多い。渋沢栄一記念団(東京都)には、膨大な記録が保管されている。

もし、明治時代に入社式が行われていれば、渋沢栄一の訓示が残されているのではないか。

そう仮説を立て、渋沢栄一の略歴や書籍を調べ、渋沢栄一記念団にも、入社式の記録がないか問い合わせてみた。

しかし、入社式、およびそれに準ずる式典において講演を行なった記録は残っていないとの回答があった。

となると、明治時代にはまだ、株式会社が各地で誕生するも入社式は存在せず、大正から昭和にかけて行われるようになったのか。

明治時代に始まり、今日まで続く企業であれば何か情報が残っているかもしれない。代表的な例で言えば、王子製紙(明治6年設立)、日本郵船(明治18年設立)などが挙げられる。

そこで、130年以上にわたって日本の物流を支える日本郵船の日本郵政歴史博物館(神奈川県)に問い合わせてみた。

得られた回答によれば、1958年(昭和33年)の日本郵船の社内報に新入の顔写真と、その新人が辞令を受けている写真が掲載されているらしい。

現に、1961年(昭和36年)のNHKの記事にも、ある証券会社の入社式の映像が残されている。1,000人を超える参加者が、大きなホールで訓示を受けている様子が確認できた。

遅くとも、1950年代には、現代に通じるスタイルの入社式が執り行われていたと読み取れる。

職務内容もあいまいな状態で日本では「会社に入る」

実は、この日本のような大々的な入社式は、欧米の企業ではほとんど行われていない。

あったとしても、新メンバーに対してカクテルパーティーが用意されるだとか、オンライン研修があるだとかで、開催規模は日本ほどではない。

海外経験の豊富な新聞記者の証言や海外の掲示板などでもその事実は確認される。

入社式の有無の背景には、就職システムの違いがあると一般に言われる。年度ごとに多くの「新卒者」が入社する日本ならではの採用慣習が影響しているのだ。

海老原嗣生氏の著書〈お祈りメール来た、日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える〉(文藝春秋・2016年)によれば、欧米の雇用について以下のような記述がある。

「まず、欧米での雇用契約は『やるべき職務が定められている』と言われる。俗にいう職務限定型雇用だ。一方、日本は、職務内容があいまいで、『会社に入る』という契約となる。だから無限定雇用、もしくは流行りの言葉ならメンバーシップ型雇用と呼ばれる。」(同上 Kindle 版No.796-799より引用)

欧米では、いわゆるジョブ型雇用が主流となっている。職種ではなく職務(当人に割り当てられた仕事内容)に人を割り当てる。欠員が出たら、社内で補えないため、その都度公募する採用システムが一般的だ。

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逆に、日本で主流のメンバーシップ型雇用では、企業内で欠員が出ても補充しやすい。その様子を海老原氏は上述の著書で以下のように解説する。

「役員が抜ければ、『企業主導』で事業部長を1人昇進させればいい。事業部長が役員に昇進してできた空席も、部長の中から補充すればいい。さらにできた部長の穴も、評価の高い課長を上げて、もしくは地方から横滑りもあり……こんな人材のパッチワークを定期異動一発で終えられる。結果、欠員補充は、すべて末端の新人レベルに寄せられる。だから新卒一括採用で事が足りる」(同上 Kindle 版No.822-826より引用)

日本では、高度経済成長期に、年功序列や終身雇用が普及・確立した。定年退職などにより上級ポストに空席が出た場合、芋づる式に人材が当てはめられた。

もちろん、日本でもジョブ型雇用が注目され始めている。年功序列や終身雇用の終焉も度々話題になる。転職は珍しくなくなり、副業ができる企業も増えてきている。

しかし「新卒」で採用した従業員が、定年まで勤務するとの見込みの上で成り立っている企業には「会社に入れる」ための入社式があっても不思議ではないのだ。

目立った服装で参加した社員は居なかった

現代、入社式のあり方も徐々に変化してきている。大学卒業後に入社した会社で、定年まで働き続ける状況が当たり前とは言えない時代となった。転職すれば「入社式」が再度用意されるわけではない。

時代の変化を受けて「入社式」の新スタイルを模索する動きもある。例えば、日立製作所(東京都)は、2021年(令和3年)から「入社式」という言葉を使わず「キャリア・キックオフ・セッション」に呼称を改めた。

新入社員が集まって、入社後に自分自身が何をやりたいのか、同僚が何を考えているのか話し合い、意識を高める狙いを持つそうだ。

2024年(令和6年)の同セッションでは、参加者の多様性や個性を尊重するため、式典のドレスコードを自由としたそうだ。

しかし、グレーのスーツや襟なしのシャツを着用していた新入社員は見られたものの、それ以上に目立った服装で参加した社員は居なかったそうである。

その意味で言えば「ザ・入社式」的な何かを本質的に求めるマインドが企業側にも働く側にもあるのかもしれない。

「コロナ禍」で「三密」を避けるため多くの企業が入社式を中止したり、オンラインで開催したりした時代はすでに過去の話だ。

2024年(令和6年)の入社式は、企業側の9割、新入社員側の8割がリアル開催を望んだとの調査もある。

春ではなく秋採用の人材に、秋採用者向けの入社式を用意する企業もあるくらいだ。

新入社員の側も、定年まで働き続ける状況が当たり前とは言えない時代とはいえ、7割近くが1つの会社で勤め上げる未来をイメージしていると示す調査結果もある。

経団連会員企業の「新卒一括採用」の比率はまだまだ高い。以上を踏まえると当面は、この日本独自の入社式の伝統は続くと予想される。

[取材・文/重田信]

[参考]
入社式はなぜ続く? 変革する独自文化 リアル重視根強く – NHK
海老原嗣生〈お祈りメール来た、日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える〉(文春新書)
日立が服装自由の入社式 初の試みは…「少し色がついた」 – 毎日新聞
採用と大学改革への期待に関するアンケート結果 – 日本経済団体連合会
More firms add autumn initiation for non-April hires – The Japan Times
新人の3割は転職・独立を志向 : 「会社の将来性」なければ見切りつける – 日本能率協会・新入社員調査
約 9 割が「入社式」をリアルで実施。前年比 6.8 ポイント増。「同期同士で交流して欲しい」「社員と交流し、会社の雰囲気を知って欲しい」の声 – 学情
8 割以上が入社式は「リアル」を希望。前年比 15.5 ポイント増。入社式に欲しいコンテンツは、「社員との交流」、「同期との『体験』」。「共同作業をすると思い出に残ると思う」の声 – 学情
Have you ever started a new job and had to go through some kind of ‘initiation ceremony’ before you were accepted by the other workers? – Quora
新村出〈広辞苑第六版〉(岩波書店)
〈大辞泉〉(小学館)

奄美大島出身。大阪府在住のライター。 タイと中国の日本人学校に教員として通算8年間勤務。 帰国後、フリーのライターへ。 補習校講師として、オンラインで国語を教えています。

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