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阪神・淡路大震災から26年。コロナ禍の災害に備えたい課題とは

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 阪神・淡路大震災が発生したのは、1995年の1月17日だった。あれから26年が経つが、我が国の防災や減災対策が大きな転換期を迎えた出来事と言っても過言ではない。

神戸港震災メモリアルパーク

神戸港震災メモリアルパークの波止場。被災した状態がそのまま保存されている ©BidouzeSt phane

 今回の記事では、この震災を契機に変化した点や、その後の災害における事例、さらにコロナ禍における「複合災害」のリスクについて、防災・危機管理アドバイザーの古本尚樹氏が説明する。

大規模な地震が相次いだ26年間

 阪神・淡路大震災では建物の崩壊が避難経路を狭め、避難者の安全を脅かした。これがきっかけで、建築基準法が改正され、その上で大規模な火災対策、建物の強靭化が図られた。具体的には避難経路となる歩道、緊急自動車が走行する道路幅の拡幅だ。加えて公園等に防災倉庫を設置し、防災用品の確保もされるようになった。

 我が国は、国際的に見ても有数の「災害列島」である。この阪神・淡路大震災以降、2010年代には東日本大震災(2011)や熊本地震(2016)といった大規模な自然災害が多く発生した。

 熊本地震の発生時、筆者はちょうど熊本城の向かいにおり、震度7の揺れを経験した。その後、熊本大学で教員として、防災や災害復興(特に被災者の健康問題)に取り組んだ。

筆者が体験した震度7「熊本地震」

避難所

画像はイメージです(以下同じ)

 熊本地震は災害による「直接死」以上に「災害関連死」が多かった。健康状態は地域社会の復興度合とも関係があるとされる。例えばインフラの復興の遅れは都市部への移動が難しくなる。それにより、医療機関へのアクセスしにくくなったり、普段の食生活における買い物の頻度・質が低下すると、中長期的なスパンで体調に影響が出てくる。

 東日本大震災でクローズアップされたのが「孤独死」問題だ。仮設住宅や災害公営住宅といった新しいコミュニティの中で、人間関係から別離され、結果孤立してしまうと、そのまま亡くなり、かなりの日数を経て発見されるという事態となる。この多くが要配慮者、すなわち高齢者であった。

 コミュニティ内での人間関係も健康状態に影響するので、避難所や仮設住宅では、人的交流をうまく継続できるかが、生命に大きく関わっている。

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