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「キレ芸は借金がきっかけだった」カンニング竹山、吉本から3回逃亡した若手時代

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 カンニング竹山さんの単独ライブ『放送禁止』の季節がやって来た。今年は15回目。昨年はコロナ禍ということで公演は1日限り、初の配信を試みたが、今年は12月1日から4日間にわたって〈門外不出の舞台〉を開催する。

カンニング竹山

カンニング竹山さん

 地元・福岡で浪人中に芸人人生をスタートさせ、21歳で小学校の同級生だった中島忠幸さんと「カンニング」を結成。上京して30年。スパルタ地獄、イジメ、借金……「若い頃は、何度も“飛んだ”」という竹山さんに、紆余曲折の若手時代を聞いた。

親から「弁護士になれ」と言われた

――芸人を志した時期ときっかけを教えてください。

カンニング竹山(以下、竹山):芸人を夢見たのは小学4年生で、ビートたけしさんの影響です。時代は漫才ブーム。テレビで「ツービート」(ビートきよし&ビートたけしの漫才コンビ)を見た時に、衝撃でした。親は「弁護士になれ」と言ってましたけどね。

父亡き後残った「13億円の借金」

カンニング竹山

――親御さんはなぜ「弁護士」と?

竹山:親父の教えが、「人を助ける仕事をしなさい」と。人を助けるのは弁護士だけじゃないんだけど、なんか僕には弁護士! と思ったみたいで。

 親父は気の優しい、豪快な人でした。僕が小学3年生の終わり頃、親父の経営する会社が倒産してド貧乏になったんだけど、高校生になるとバブル期が到来。親父は所謂“土地転がし”で儲けていました。52歳で亡くなった後、13億という巨大な借金も判明するんだけど(笑)。

 倒産する前の竹山家は割と裕福&教育熱心で、小学校4年生になったら塾、中学から私立という方針。兄と姉はその通りに進んで、僕も自然にそのコースだと思っていました。でも実際は塾も私立も行くお金がなくなって、母親には「ごめんね」と泣かれたけど、僕は全然地元でよかったし、ポカンとしてましたね。

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