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「キレ芸は借金がきっかけだった」カンニング竹山、吉本から3回逃亡した若手時代

暮らし

「自分に“無理”をしていると、ダメになる」

――お兄様はなんと?

竹山:「筋を通してこい」と怒られました。それでまた吉本に戻ると、「お前らをスターにするためにとったんや、相方のことも考えろ」って大目玉をくらいました。

 でも後になって、華大も逃げたいと思っていたことが判明しましたけどね。今では、大吉さんからは「ずるいな~、俺が逃げようと思ったのに」って笑い話にしてもらってます。一方で、田中は東京にはもう行かない、と決意していました。2人の考え方が変わってきたんです。僕はまた2~3週間したら、やっぱダメモードが強くなって……。

――2~3週間周期でダメに。

竹山:全国区になりたいという思いが消えないまま、無理してるから。3回目は、寝ている親父を叩き起こして「家出たい」と言いました。そうしたら親父が、金庫から30万円出してきて、母親にバレないように、今すぐ家出ろって言うんです。カッコよかったですね。それで、カバンひとつだけ持って、泣きながら家を出ました。

「あれは遊ぶ金じゃねえ」

カンニング竹山

――で、東京へ?

竹山:それが、30万円あるし、行ったことがない場所に行きたいと思って、新幹線で広島に行ったんです。そこから大阪、名古屋、東京、仙台、青森と北上して、さらに青函トンネルで北海道へ入りました。これからどうしようと考えながら、札幌の大通り公園で屋台のモロコシを食べていたら、宣教師みたいな学生が話しかけてきて。身の上話をしたら、「DREAMS COME TRUE、夢は叶うよ」と背中を押してもらいました。

 彼の言葉に勇気づけられて、実家に電話したら、親からもケジメをつけろと諭されて、また福岡へ。今回ばかりはさすがに吉本も諦めてくれました。親父には「あれは遊ぶ金じゃねえ」って怒られたけど、竹山家公式で僕の東京行きが認められた瞬間です。

――逃げては福岡に戻る、の繰り返しをした19歳。

竹山:まず僕があまりにも子供だった。あと、どうしても“外”の世界を見たかった。ただ、各地を回るうちに、全然見知らぬ土地の人たちでも、東京で売れると僕を知ってくれるんだって、ますます東京への思いが強くなったのは確かです。

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