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カンニング竹山、相方の死から15年。もがいた「立ち位置」

悩んだ「テレビ芸」と「俺は何者なのか」

カンニング竹山

――そして、自分の“立ち位置”は見つけられましたか。

竹山:見つけられました。『放送禁止』スタートのきっかけは、おさむさんに、「めちゃくちゃ忙しくしてるけど、心に穴あいてるよね?」って言われたことだったんですが、本当にそうで。その時おさむさんは、「ライブやれば、10年後怖くないですよ」って言ったんです。

 当時、中島がいなくなっても、ありがたいことにテレビでの仕事はありました。僕はもともとテレビが好きで、「テレビ芸」も大好きだったんです。「テレビ芸」とは、この番組の中で自分はどういう立ち位置で、他の出演者たちとどう協力してやっていくのかといった、いわば「団体芸」。一見大したことをしていないようだけど、それが見ている人にバレないのが「テレビ芸」で、あくまでも楽しそうに、こいつら遊んでるだけで金もらえるんだなって思ってもらえたら成功です。

 でも、ふとした時に、俺、何やってるんだろうって……。ずっと漫才をやってきてコンビで売れたから、いきなりピンになったことで、芸人としての迷いは実は大きかったんです。中島と漫才をやっている時は、どんなに売れなくても、最終的には自分には漫才があるっていう想いがありました。

 なのに、相方がいなくなったことで拠り所がなくなったのは確かです。俺にとって漫才は中島としかできないけど、ピンネタを作って何かやるのか、作るとしてどういうものにするのか。自分の進む道についてすごく悩んでいて、悶々としていました。

『放送禁止』は自分の港

カンニング竹山

過去の「放送禁止」DVD(筆者私物)

竹山:そんな時、おさむさんから、「テレビだけだと、自分が何者かわからなくなるよ」と指摘されました。自分が何者かという軸がないのは、帰る港がないようなもの。だからその軸を、10年かかっていいから作っていこう、と。『放送禁止』を始めて13年経った今思うのは、「その通りだったな」ということですね。

 ライブの形がなんとなく見えたのは、2年目に、僕が浮気して週刊誌に裸の写真が載った時。おさむさんに謝罪の電話を入れたら、おさむさんはゲラゲラ笑って、「何言ってんだよ、ネタにするチャンスだよ」って。

 笑わせ方っていろいろあると思うんですけど、僕がおさむさんに言われたのは、「竹山くんの場合、芸人としての“生き様”なんだよ」ということでした。僕がどんなことをして、何を考え、感じ、どんな結果になるかということを、笑ってもらう。

 そうやって、自分が実際に体験したことをベースに、無我夢中で単独ライブを続けるなかで、自分の軸ができてきました。『放送禁止』があるから、役者やタレント、コメンテーターとしての仕事もできる。芸人としての俺に不満がある人は、ライブ見にくればいいじゃんって思えます。自分の港になりました。

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