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カンニング竹山、相方の死から15年。もがいた「立ち位置」

「テレビで言えない話」が増えた転換期は

カンニング竹山

――2008年から現在までの間にSNSも普及し、テレビの転換期でもあった。加速度的に時代が変化し、〈テレビで言えない〉話が増えているのを実感することは?

竹山:ありますよ。僕が、大きく舵が切られてきたなと思うのは、フジテレビに対する反韓デモ(2011年)ですね。あれが起こってから、テレビ局側もスポンサーさん側もちょっと変わってきたなという印象はあります。

 あの頃、世の中で何が起こっていたかといえば、やっぱりSNSの存在なんですよね。SNSで、1人ひとりが気軽に意見を発信できるようになってきた。もちろん意見を言える社会は素晴らしいんだけど、昔はメディアに対して意見を言うのはハードルが高かったんです。言っててもお茶の間で、どうしても腹が立つ人は、テレビ局に電話しなくちゃいけない。

 でも、スマホとSNSが当たり前になって、何でも自ら発信できるようになった。そこまで広がると思っていない人も多いんだけど、ふとしたことで大きなうねりになることがあるということがわかってから、スポンサーさんや局の考え方が変わってきましたよね。じゃあ、なぜ考えが変わってきたのか。根幹にあるのは、みんな〈生活〉ですよ。

 働いていて、各々の立場で面倒なことにはなりたくない。そういうのが互いに少しずつ作用して、だんだん変化してきたのかなとは思います。

「カンニング」に無理やり蓋をしていた

カンニング竹山

――2012年の『放送禁止』で「カンニングのお葬式」と銘打ち、中島さんの死に触れたのがひとつのターニングポイント。当時、「やっと一本立ちできる」と言っていましたが、自分のなかで変化を感じる部分はありますか。

竹山:あれは『放送禁止』5年目で、中島の七回忌なんですね。スタート当時から、おさむさんと、5年目にやろうって決めていたんです。それまで続けられたら、と。

 でも、死んだ人の話で笑いとっていいのかという道徳的な話と、死んだ人で笑いをとれるのかという点で、どう作るかは苦労しました。だからこそ、完成した時には「これで本当に1人でいける」って実感しました……それまでは、どうしても「カンニング」に無理やり蓋をしている感じで、周りの人たちも、見て見ぬ振りをしてくれているというか。その蓋を自分でとって、自分でばら撒いてみたということです。

 本当に今、いないでしょ、横に。僕だけでしょ? 気を遣わなくていいんですよって、自分で言えた瞬間でした。でも、今はもう、僕がコンビだったことを知らない世代の子たちが出てきたからね。時代ですね。

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