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元プロ野球選手の大学教員が感じた球界の古い慣習「野球に集中しろと怒られました」

学び

 もし会社の休憩時間にマンガを読んでいる同僚の横で、将来を考えて仕事とは関係のない資格取得の勉強をしていたあなただけが、上司に「業務のことだけに集中しろ!」と怒鳴られたら、どう感じるだろうか? そんな会社はおかしいと思う人が大半ではないだろうか。

西谷尚徳さん

西谷尚徳さん

 前職で同様の経験を数え切れないほど味わってきたのは立正大学法学部准教授の西谷尚徳さん(39歳)。しかし、当時はちょっと変わった職業に就いていた。プロ野球選手だったのだ。

プロ時代のあだ名は「先生」

 埼玉県立鷲宮高校出身。明治大学に進学し、入学早々に内野手レギュラーを獲得。六大学野球では1年生時の春季リーグを皮切りにベストナインを3度受賞し、2004年には日米大学野球のメンバーにも選出された。

 その年のドラフト4巡目で東北楽天イーグルスから指名されて入団。1軍でも活躍したが、度重なる故障に苦しみ、2009年に戦力外通告を受けた。トライアウトを経て、阪神タイガースに育成枠で獲得されたが、翌2010年に再び戦力外になって引退した。

 西谷さんが異色だったのは、現役中から通信制の大学院に通っていたことだ。試合や練習の合間に学術書を読み漁り、遠征の長距離移動中にはノートパソコンで論文を執筆し、ついたあだ名は「先生」。その名の通り、引退後は教員になった。

 西谷さんは「プロ生活には必ず終わりが来る。それが10年後なのか、5年か、3年かの違いだけ。メジャーリーグでは年金制度がありますが、日本のプロ野球は10年やっても何の保証もない。最初から次のステップ、セカンドキャリアを考えた上で入るべき世界なんです。僕は学生時代からそう考え、教員の道を視野に入れて準備してきました」と持論を訴える。

大学時代に感じた違和感

西谷尚徳さん

明治大学時代の西谷さん(画像は本人提供、以下同じ)

 引退した選手が第2の人生でも野球に携わる仕事に就くケースはごくわずか。保険会社などの営業職や飲食業、建設現場や工場勤務など、大半は野球以外の道に進む。その現実を直視すれば、西谷さんの言葉は重みがある。

 西谷さんが最初に野球界に違和感を覚えたのは、大学時代のことだった。県立鷲宮高校では、西谷さんの他に元東京ヤクルトスワローズの剛腕投手・増渕竜義さんらを育てた高野和樹監督(現在は県立上尾高校勤務)の指導を受けた。

 高校教諭でもある高野監督の教えは、野球漬けの私立の強豪校とは違って「文武両道」。そんな恩師に憧れ、プロを目指した後は教員になることを決意した。しかし、大学では野球だけでなく、教員免許を取得すべく勉学も励もうとすると、意外な言葉を投げかけられた。

「打てなかった試合の後に授業に出ようとしたら、先輩や監督から『結果を残せなかったのに、なぜ居残り練習をせず、授業なんかに出るんだ?』と言われたんです。びっくりしました。もちろん大学で野球をやるからにはプロを目指しています。でも、学生だから当然、授業は受けます。全く意味が分かりませんでした」

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