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元NHK・登坂淳一アナの仕事論。「やりたくないこと」を考えるのも大事

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 50歳目前にして、先日第一子が生まれた登坂淳一アナ@tosakajunichi)。2017年にNHKを退職し、現在はフリーアナウンサーとしての活動以外に、バラエティ番組への出演や、TikTokにブログ、ユーチューブなど、SNSにも積極的です。

登坂淳一

登坂淳一さん

 報道畑でキャリアを積み重ねてきた登坂アナ。前回のインタビューでは、突如“白髪になった真相”を聞きましたが「人にものを伝える」ために、意識してきたこと、学んだこととは? 仕事への向き合い方をお聞きするなかで見えてきたのは、「求められたことには全力で乗っかる」「相手の目線に合わせる」というポイントでした。

原点は、父親の前でやった“スポーツ実況”

――アナウンサーになったきっかけは、何かあったのでしょうか?

登坂淳一(以下、登坂):就活の時に、「何か伝える」という仕事をしてみたいと思っていたんですけど、アナウンサーじゃないと絶対ダメ、他の仕事はヤダ!っていうわけではないんです。NHK以外にも、他のテレビ局のディレクターや新聞社、雑誌系、代理店、メーカーなんかも受けていました。

――そして1997年、NHKに入局。「伝える」ことに興味を持った、原体験はあったのでしょうか。

登坂:うちは父親がモーレツサラリーマンで、朝早くて夜遅いような、激忙しい人だったので、父とのコミュニケーションがあまりなかったんです。一緒にいる時間がなくて。

 だから、子供なりにコミュニケーションをとろうと思った時、父親は毎朝スポーツ欄を熱心に読んでいたのが印象的だったので、スポーツに関係する何かをしてみようと。そこで、テレビで見た前日のプロ野球や相撲のハイライトシーンを実況風にリプレイしたりして。すごく喜んでくれましたね。

悩んだことはたくさんありました

登坂淳一

――コミュニケーションをとりたい相手の関心事や行動をよく観察して、「伝える」方法を模索したんですね。

登坂:そうですね。それが初めて、意識して相手とコミュニケーションをとろうとか、あるいは何かを届けたいと思って伝わった原体験、原点だったのかなと思います。

――仕事をするようになって悩んだことや、やめたいと思ったことはありましたか?

登坂:仕事をやめたいと思ったことはないですね。悩んだことはたくさんありました。NHKに入局して最初の赴任地は関西(和歌山支局及び大阪放送局)で、合計6年いたんですけど、関西は民放も強い。NHKが圧倒的に強くて見てもらえるというような地域ではないんです。

 NHKの他にたくさん選択肢があるところで、選んで見てもらうために番組にどうやって関わるか、何をしたらいいか、ずっと考えながらやってきた。たくさん悩んだことですごく鍛えられたし、よかったなと思います。

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