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コロナ禍の今、駄作と言われた『ゲド戦記』が再評価されるべき4つの理由

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 2021年4月9日、金曜ロードショーにて『ゲド戦記』が地上波放送されます。本作は、先日「『ハウルの動く城』が型破りで真っ当な“恋愛映画”になった6つの理由」で解説した、『ハウルの動く城』に続く2006年公開のスタジオジブリ作品であり、興行収入78.4億円(2020年のリバイバル時に1.5億円を加算)という大ヒットを記録しました。

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『ゲド戦記』© 2006 Studio Ghibli・NDHDMT

 しかし、その評判は芳しくなく、日本のみならず海外のメディアから酷評され、原作者であるアーシュラ・K・ル=グウィンからさえも批判されたこともありました。

 確かに、宮崎吾朗が初監督を手がけたアニメーションのクオリティが父である宮崎駿監督の作品には遠く及ばない、物語がこじんまりとしていてスケール感がない、終盤の展開が唐突に感じる、テーマを言葉で説明しすぎていて説教くさくなっているなど、『ゲド戦記』は否定的な声があがるのも致し方がない、と思える部分が多いことも事実です。

 しかし、2021年の今、新型コロナウイルスが蔓延した世界を鑑みれば、『ゲド戦記』で語られたメッセージは古びていない、それどころか説得力を増し、作品の意義そのものを再確認できる内容であると思うのです。再評価に値する4つの理由を、以下に記していきましょう。

※以下からは『ゲド戦記』の結末を含むネタバレに触れています。まだ映画をご覧になっていないという方は、先に本編を鑑賞することをおすすめします。

1:コロナ禍の世界を連想させる内容

 物語の始まりから、疫病が流行し羊や牛たちが命を落としていることが告げられ、そのために王が該当地域を封鎖するという感染拡大阻止の提言をしています。

 ここから、ストレートに現実の新型コロナウイルスのパンデミックが連想されるのは言うまでもありません。他にも、竜が人間の世界で共食いをしていたり、旱魃(かんばつ)のため種まきもままならないかもしれないことも示されます。

 重要なのは、劇中でたびたび話題になっている「世界の均衡が崩れようとしている理由」が、その疫病や自然災害そのものによるものではない、ということです。事実、大賢人のハイタカははっきりと「疫病は世界が均衡をとろうとするひとつの運動だが、今起きているのは均衡を崩そうとする動きだ。そんなことができる生き物は、この地上には1種類しかいない」と言っているのですから。

「均衡の崩れ」を生む生き物とは?

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 もちろん、その生き物とは人間のことです。その人間が何をしているかと言えば、街での麻薬や奴隷の売り買いという、やはり人間でしかできない悪行でした。他にもハイタカは廃墟となった家屋を見て、「農民が村を捨てるとは……凶作のためだけでもなかろう」と言っていますし、まじない師のはずの女性が紛い物の生地を売っていたりもしていました。

 つまり、『ゲド戦記』で描かれるのは、疫病や自然災害はあくまで発端にすぎない、そのために世界に住む人々が「闇(悪)に呑まれてしまう」様(さま)であり、それこそが「世界の均衡が崩れる」理由になるとされているのです。

 現実のコロナ禍を見てみれば、それが決してファンタジーの絵空事ではないことがわかります。感染したと思しき者への誹謗中傷や人種差別、心理的かつ経済的な不安、それによる自殺など、新型コロナウイルスそのものではない理由で、人々がかつてないほどに傷つけ合い、弱ってしまう時代になっているのですから。

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