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映画『100日間生きたワニ』叩きやすいものを叩いて嘲笑うネットいじめへの激しい怒り

暮らし

 映画『100日間生きたワニ』において、公開前から「レビューサイトでの荒らし」がはびこり、「予約システムで遊ぶ迷惑行為」までもが横行した。前者は(後述もするが)作品への誠実な批評をも貶めるものでもあるし、後者は限りなく犯罪に近い。言語道断な愚かしい行為であることは言うまでもない。

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©2021「100日間生きたワニ」製作委員会

 それだけに限らず、『100日間生きたワニ』への異常なバッシングムード、いや「事実がどうあれ叩きやすいものを叩いて嘲笑するネットいじめ」に、これほどまで多くの人が平気で加担したことに、大いに失望した。そして、この問題を通じて、ネットいじめの問題、そして批判(批評)との違いについて論じるのは、とても有意義なことであると思う。以下より、その理由を記していこう。

そもそものバッシングの対象が間違っている

 Twitterで爆発的な人気を得た原作『100日後に死ぬワニ』は、最悪のタイミングで無節操なプロモーション展開をしたために大炎上をした。フィクションとはいえキャラの死を悼む時間もないまま、露骨に「カネ」が見えたことに嫌悪感を覚えたほうが多いのも当然であるし、筆者個人としても大いにガッカリしていた。このこと自体は、ネット初のコンテンツで大失敗したプロモーションとして、後世に生かすべき反面教師だろう

 だが、その批判の対象はどう考えても「プロモーションをした側」だ。作品そのものとは別個に考えるべきことであるのに、過剰なバッシングが作品と作者であるきくちゆうき氏に向けられること自体がおかしかったのだ。

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 なぜそうなるのかと言えば、「叩きやすい」からだ。プロモーション会社や企画の担当者は「表には出にくい」が、作品ときくちゆうき氏はネット上に目に見える形で、そこにある(いる)。そして、事実がどうあれ、ひとたび面白くおかしく「嘲笑してもいい」空気が作られれば、それが波及し、さらに袋叩きにされる。恐ろしいことに、原作のプロモーションの大炎上から1年以上が経過してても、「叩いてもいいやつ」というラベリングは剥がれることはなかった。

 映画『100日間生きたワニ』のレビューサイトでの荒らしや、予約システムで遊ぶ迷惑行為にまで発展したのだから。事実、東京新宿の映画館・バルト9は公式サイト上で、予約表示のボタンを操作して文字や記号を作る荒らし行為などに対して「迷惑行為の禁止」という勧告を掲載した。

 さらに信じがたいことだが、きくちゆうき氏が自身への誹謗中傷に対して裁判を起こしたものの2度の敗訴をしたことさえも、同情ではなく嘲笑をする声が相次いでいた。世界中で報じられた、『テラスハウス』の出演者である木村花さんの自殺のことを知らないのだろうか。いや、1年前のいじめてもいいやつのことをまたいじめても平気な上に、誹謗中傷により自殺した人のことは簡単に忘れてしまえるのだろう。

絶賛さえも「人生の汚点」とされる恐ろしさ

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 筆者個人の話になって恐縮だが、試写で映画『100日間生きたワニ』を拝見し、掛け値なしにとても良い映画であると思ったため、別の媒体でタイトルから「傑作」であると評した記事を2本書いた。何しろ原作のプロモーションが前述したように大炎上した作品であるので、「激烈な反応も多少は来るだろうな」という懸念もあったが、それでも「まあそれも含めて注目されるならいいだろう」「反応を恐れて手を緩めるのもおかしいよな」と思ったので、素直に絶賛することはためらわなかった。

 その認識は完全に甘かった。「家族でも人質にされてます?」「提灯きたー」「#PR」などのコメントが続出した。言うまでもないが、筆者は(媒体も)媒体からの原稿料以外のお金はいっさいもらっていないし、誰1人からも「絶賛してください」と強要されてもいない。それでも一言二言だったら笑って済ませられたのだが、(少なくとも書き込みでは)そのような意見が大多数であり、それに賛同する方がほとんどという事実はさすがにショックだったのだ。

 さらに、「こんなゴミを褒めてる節穴評論家という扱いにされちゃうリスクがあるから大変だな」「自分なら100万円もらったって、こんな顔から火の出るようなステマ記事を自分の名前で書くことは出来ない。人生の汚点の対価として安すぎる」というコメントも寄せられていた。どうやら、彼らにとって(おそらく)観てもいない『100日間生きたワニ』を褒めることは「恥ずかしい」ことのようだ。その意見にも、賛同する方が残念ながら多かった。筆者だけでなく、他の方の映画を褒めた、または観たというつぶやきにも「いくらもらったんだろう」や「睡眠時間ですか?」という反応が届いていたようだ。

 別に愚痴を並べ立てたいわけではない。1年以上前から「叩いてもいいやつ」とラベリングされ、膨れ上がった悪意の前では、作品を褒めることすらも「おかしいこと」「またカネか」と決めつけられ、それが「当たり前」のように認識されることが本当に恐ろしかった。外野から勝手に褒めているだけの筆者はまだしも、上田慎一郎・ふくだみゆき両監督夫妻をはじめとした作り手たち、関係者たちはどれだけ苦しかっただろうかと、改めて激しい怒りを覚えたのだ。

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