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サンシャイン池崎「就活は1回もしなかった」。原点は“家賃700円”の学生寮

暮らし

「自分にとっての天職とはなんだろう?」と考えたことはないだろうか。天職、すなわち給料や待遇などに関係なく、心から充実感があり、一生続けたいと思える仕事のことだが、具体的なことなどそうそうは見つらないもの。

サンシャイン池崎さん

サンシャイン池崎さん

 お笑い芸人・サンシャイン池崎さん(39・@ikezaki_YEAHにこれまでのキャリアを聞いた前回インタビュー、この分野に関わり続けている理由を聞いていると、“天職を知っていた人”という印象を強烈に受けた。数多の芸人が味わってきた苦労話がありつつも、自分のやりたいことに揺るぎない信念があり、結果多数の支持を集めてきた。後編のインタビューからそれを垣間見てほしい。

なりたい職業はずっとお笑い芸人だった

――いつ頃から芸人になろうと思っていたんですか?

サンシャイン池崎(以下、池崎):小さい頃からずっとでしたね。家族がバラエティしか見ない人たちで、『とんねるずのみなさんのおかげでした』『めちゃイケ』を見て育って、俺もいつか“向こう側”に行きたいなあと。

 出身は鹿児島なんですが、周りで密かにそういう夢を持っていたのは僕だけじゃないですかね。高校の時、誘いたい同級生もいたけど、進学校で半数以上が大学志望だから「じゃあ俺も」いう感じで受験しました。

就活は1回もしなかった

サンシャイン池崎さん

池崎:大学は大分にあって、男子寮生活でした。そこがすごくて、壁中に落書きだらけでボロボロ、ほんと『クローズ』の鈴蘭高校みたいな見た目。まあ、家賃が月700円ですからね(笑)。

 独自の慣習で、別の女子寮との「新歓ダンスパーティ」が毎年あるんです。それは、男たちが女子寮に行って、ペアで朝まで遊ぶっていう感じなんですが、先輩からは「いい感じの子を見つけるまで寮に帰ってくるな」っていうお達しがあって。僕も、そのおかげではじめて彼女ができましたね。みんなで出し物をする時間もあって、後輩を誘ってコントをやってました。

 お笑いの道に行くことをずっと考えていたので、就活は1回もしなかったです。卒業も近くなって来た矢先、当時付き合っていた彼女がファッション雑誌の裏表紙で「ワタナベコメディスクール開校!」っていう広告を見つけて、「受けてみたら?」と勧めてくれたんです。それで九州の面接会場となる福岡まで行ったのが、今の世界に踏み出す第一歩でしたね。

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