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夢を諦めた元芸人が語る、社会の厳しさと「枚方パーク」に就職したワケ

暮らし

 漫才やコント、ピン芸など変幻自在の笑いを生み出すお笑いグループ「ザ・プラン9」のリーダー・お~い久馬の元相方、後藤秀樹さん(49歳)。

 前回の記事では、「千原兄弟」を筆頭に関西で巻き起こった2丁目劇場ブームの波に乗り、久馬との漫才コンビ「シェイクダウン」として浮上躍進していくお話からコンビ解散までを語ってもらった。

後藤秀樹さん

後藤秀樹さん

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 後編となる今回は、ピン芸人として試行錯誤を繰り返しながらも引退を決意した大きな出来事をはじめ、一般企業で受けた厳しい社会の洗礼、そして、やっと見つけた天職とも言える再就職先について話を聞いた。

ピン芸人としての苦悩

――コンビ解散後は、ピン芸人として新たな道を模索し始めたんですね。

後藤:ぼくとしては、ピン芸人としてネタを作る力とかトークの力を付けて、「もう1回、久馬君とコンビを組んだら売れるんちゃうかな」っていう思いもあったんですよ。

――確かに、ピン芸でも精力的にネタを披露されていましたよね。モノとか映像にツッコミを入れていくネタが好きで、毎年『オールザッツ漫才』(MBS)を楽しみにしていました。特に福袋を買ってきて、「なに入ってんねん!」ってツッコミを入れていくネタが好きでした!

後藤:あれはね……名作でしたよね(笑)。ただ、ピンでネタを作っていくのは限界でした。コンビ時代の余力というか、ピン芸として新しい後藤秀樹を作り上げるところまでは到達できていませんでした。

――やはり、ツッコミだけでネタを作るのは難しいと?

後藤:そうです。あとね、「人にツッコミを入れたい」っていう欲求が強くなってきましてね。ピンとして10年ぐらいやったんですが、最後のほうはその気持ちに押し潰されそうになっていました。

ツッコミをする喜びを知る

後藤秀樹さん

現在の職場、ひらかたパークにて

――その思いもあって新喜劇に入団されたと。

後藤:そうなんです。人を相手にしてツッコミをするっていう喜びを知って、「これや、これや!」っていう感じがありました。最初は、欲求を満たす喜びばっかりやったんですが、新喜劇には新喜劇流のツッコミがあるんですよ。それは、コンビ時代のツッコミとはまったく違うもので。

――そこで、壁にぶちあたったのですか?

後藤:もうね、ツッコミという役割なんで、短い期間で出演者全員のセリフを覚えないといけないし、2つ後のボケのために最初のツッコミはこんな言葉とトーンでいこうとか。ちゃんとストーリーを踏まえたツッコミが必要なんですよね。そこに悩みを持つようになって……。稽古のときに、ツッコミが出なくなったんですよ。

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