「この娘達を全部売る!」アラフィフ漫画家が目撃した、蒸発した父の背中<漫画>
いちばん生活が荒れた時期でもある
──それまでの青年誌向け漫画から、いきなりパチンコ漫画を描けるものなんですか?
近藤:パチンコ漫画はかなり特殊で、ストーリーや作画の魅力というよりも、パチンコの新台をメインに出してくれと。どんな特徴の台でなにが面白いかとか。どんどん、ぼく自身もパチンコにハマっていったのでそこは何とか描けるようになりました。
──青年漫画を描けないフラストレーションなどもなく?
近藤:最初は好きなので楽しいんですけど……。何年かすると、どうしても飽きてしまって。だけど、ちょうどその頃に結婚をして子どもがいたので、生活の糧を稼ぐためにも、そういうことは言ってられない感じでした。ある意味で、ストレスが溜まっていたのか、いちばん生活が荒れた時期でもあります。
40代後半で心が折れてしまう
──どういう生活だったのですか?
近藤:締切の原稿を仕上げたら、パチンコに行って、勝ったらフィリピンパブで盛大に飲むとか。徹夜してそのまま飲むこともあったり。連載を掛け持ちしていたので、ある程度はお金の余裕もあったので、仕事でがんばった分はそうやって発散していました。その30代前半から40代半ばまでが無茶苦茶でしたね。
──いつ頃、パチンコ漫画を描かなくなったのですか?
近藤:それはぼくの意志というよりも、ブームが下火になって連載が減っていきまして。どんどん収入も減っていき、離婚も経験して、最後は漫画の仕事が無くなったと。40代の後半に差し掛かろうっていう時だったので、この時期は本当に辛かったですよ。再婚した妻に、しばらくは食わしてもらうような状態でしたから。
──作品の持ち込みなどはされなかったのですか?
近藤:年齢的に無理だろうって思ってましたし、気力も失ってましたからね。クルマの運転が好きだったので、タクシーかバスの運転手になろうと思って、説明会にも行きましたし。それくらい、もう漫画は無理だろうなって本気で考えてましたよ。