東京駅〜成田空港わずか30分で結ぶ「成田新幹線」幻と消えた計画の顛末
負けていた台湾新幹線受注合戦での大逆転
日本の新幹線システムが海外に初めて進出したのが、2007年に開業した台湾新幹線だ。台湾高速鉄道株式会社が運営するこの鉄道は、台北~高雄間の345キロメートルを約90分で結ぶ。使用されているのは、JR東海とJR西日本が開発した700系の改良型700T型と呼ばれる車両だ。車体は白をベースに、オレンジと黒の2本の線を配し、最高時速300キロメートルで走行する。運行システムや駅などの施設も日本が納入したものだ。
じつは、この新幹線導入計画では、日本は完全に出遅れていた。交渉に参加するのが遅れたため、ドイツやフランスなどの欧州高速鉄道連盟に優先交渉権を奪われてしまっていた。どう考えても日本のシステムが採用される可能性は低いというのが、多くの人の見方だった。そして、その見方どおりに、一度はフランスのシステムの採用が決定してしまう。
ところが、その後、予想もしない逆転劇が起きる。フランスのシステムの採用は白紙に戻され、その代わりに日本の新幹線システムを採用。日本は車両システムや運行システム、駅などの施設建設の受注に成功したのである。なぜ日本は逆転勝利できたのか。最大のポイントは日本のシステムの耐震性にあった。
受注合戦の最中の1999年に、台湾では台湾大地震が起きた。これによって、台湾側は新幹線の地震対策を強化する必要性を強く感じるようになったのだ。その点、地震国である日本の新幹線には、早期地震検知警報システム(UrEDAS)が導入されるなど、高度な地震対策が行なわれていた。これが決定的な強みとなり、日本の逆転勝利となったのである。
さすがに欧州高速鉄道連盟はこの決定に怒り、台湾高速鉄道を国際商業会議所に提訴し、台湾側に賠償金の支払い命令が出るなど混乱が続いた。結局、台湾側の6500万ドルの賠償金の支払いで和解、日本のシステムによる台湾新幹線が開業し、現在も走り続けているのである。
<TEXT/レイルウェイ研究会>