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「100年後にラーメンの歴史を残したい」“引退表明”したラーメン博物館の館長が描く夢

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 博物館であり、昭和テーマパークであり、そしてラーメン銘店街でもある、新横浜ラーメン博物館(以下、ラーメン博物館)。1994年の開館以降、積み重ねてきたこれまでの軌跡と今後の展開、そして現在行われている企画について、館長である岩岡洋志氏に聞いた。

新横浜ラーメン博物館

博物館入って正面のご当地ラーメンマップ

「28年遵守した」厳しい誘致基準

 開館から28年経つ現在でも挑戦が続いている、ラーメン博物館。もっとも大変なのが、店舗選びと、出店交渉だろう。ラーメン博物館には、厳しい誘致基準がある。公式サイトの文言を要約すると以下のようなものだ。

・本店およびその周辺にしかない店であること
・その地域に根付き、今も「繁盛」していること
・元祖であること、または元祖を継承しブラッシュアップさせ、その味を広めたこと

 誘致基準というより、誘致「理念」と言ったほうが近いだろう。ラーメン博物館では、この厳しい基準を28年間遵守してきた。

 もっとも出店交渉を難しくしているのは「今も繁盛している」という基準だろう。繁盛店は、新規出店に興味を示さない。むしろ、リスクと考える傾向が強い。

オープン時に粘り強く交渉した「すみれ」

新横浜ラーメン博物館

ラーメン博物館 正面入り口

 札幌の「すみれ」もそうだ。博物館がオープンする3年前から、粘り強く出店交渉した店であるが、結局店主の家族が、「のれんが汚される」と危惧し、出店は頓挫。オープンが近づくにつれ、社内では、札幌ラーメンがないと博物館としてまずい。別の店舗を探そう、という意見が出てくる。

 しかし、岩岡氏の気持ちは変わらない。3年間も話し合ってきたのだ。オープンは7店舗(8店舗中)だけで行こう、内装を用意して待とう、と決めた。

「妥協したくないっていう。妥協したほうが楽なんですけど。ビジネス的なスタンスでやるっていうのではなく、とにかく作り上げる」(岩岡氏、以下同じ)

 普通の経営者では、この判断は下せない。商店街は、空き店舗率が10%を超えると活気がなくなる、と言われる。まして今はオープン時なのだ。それでも、誘致基準を遵守し、「すみれ」出店に希望をかけた。岩岡氏が待っていることを聞いた店主は、「そこまでやるなら」と家族の反対を押し切り、出店を決意したという

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