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自殺も考えた過去。10万人に1人の難病になった俳優の「絶望の乗り越え方」

暮らし

母の日記を見て、「めっちゃ僕、甘いな」

間瀬

――自殺まで考えたんですね。

間瀬:はい。ドクターは「絶対成功させる」と言ってくれたのに、成功しなかったら自殺してやる!って八つ当たりして……ひどいですよね。

 脳動静脈奇形は先天性。生まれつきなので、誰も何も悪くないんだけど、両親は、「そんな身体に生んじゃってごめん」って謝るんです。それに対して僕は、そうだよ、お前らのせいで“不良品”になっちゃったんだよって荒れました。なんで僕が、こんなに重たいものを一人で背負わなくちゃいけないんだって。顔も見たくない!って。

――その状態を、どのように乗り越えたのでしょうか。

間瀬:看護師さんやドクターに当たっても仕方がないっていうのは、本当はわかっていたこと。翌日には謝りました。もちろん、やりきれない思いはありましたよ。「病気になると精神状態が不安定になるものだよ」って、周りのみんなは言ってくれましたけど……。

 でも、その、僕が人生に対して投げやりになっていた時に、お母さんが、自分が乳がんになった時の日記を持ってきてくれたんです。そこには、がんがわかった時の辛い心境や孤独感などがつづられるなかで、病気をしたからこそ得たことについても書かれていた。……お母さんが乳がんの手術をしたのは、僕が離れていた時で、全然知らされていなかったんです。そのとき初めて、お母さん、そんなに悩んでいたんだって知って。

 僕は、自分のことしか見えていなかった。お母さんはお母さんで、すごく闘っていたんだなと。今、僕は辛い辛いって言ってるけど、その裏で、今だってお母さんは何かと闘っているのかもしれない。そう思ったら、めっちゃ僕、甘いなと。

 その時に、精神面がガラッと変わりました。もう、どうしたって逃げられないことを嘆くばかりじゃなく、自分らしく、今できることは何かと考えた時、ブログで、ちょっと明るい「遺書」を書いてみようって思い立ったんです。それで、その日生き延びたら、また翌日「遺書」を書く。それを続けられるだけやってみようと。

「遺書」のつもりで書いたブログが扉を開いた

間瀬

――2019年7月20日のTwitterで、理由には触れず、入院することを報告。同22日のTwitterで、脳出血であったこと、第1回目の手術を受けたことを明かし、24日に脳動静脈奇形ということがわかったと発表しています。詳細な経緯や病気について、間瀬さんがブログに書き始めたのは、26日以降のことでした。

間瀬:まずは「こんな病気になりました!」って書いてみたんです。

 レコーディング中の異変と頭痛について、病院で受けたいろんな検査、そして脳動静脈奇形ということが判明するまでと、混乱していたその時の正直な気持ちなどを、連続投稿しました。

 そして、投稿し終えて寝たら、一晩中、携帯がブーンブーンってうるさいんです。携帯がぶっ壊れたのかな、それとも自分の脳が本格的にぶっ壊れたのかなって思うくらい(笑)。ものすごくたくさんの人が読んでくれていて、その通知だったんですね。急にブログへのアクセスランキングがトップになって、フォローしてくれる人が激増して、あ、こういう発信の仕方もあるのかって。

 同時に、どうやら日本の俳優でこの病気になった人ってまだいないらしいって聞いて。それなら、僕と同じ病気で苦しんでいる人たちに、こんなバカで明るくやっているやつもいるんだぞって、光になってやろうと思って。

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