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ヤクルト戦力外から上場企業の管理職に。27歳元プロ野球選手を救った言葉

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トライアウトが転機になった

又野知弥さん

 全力は尽くしたが、思うように活躍できないまま4シーズンが経過し、ついにその日を迎えた。

「9月30日に担当スカウトから『明日、球団事務所に来てくれ。意味は分かるよな』と電話がかかってきました。薄々は感じていたので、翌日に戦力外を言い渡された時も、しょうがないよなと納得していました。でも、帰りの車で突然、目の前がチカチカし始め、いつの間にか涙があふれていました。自分には野球しかなかったのに、その野球すらもうできない。頭で理解するより前に、心と体が反応していました」

 トライアウトでは声がかからなかったが、もう一度投手として社会人野球で再出発したい気持ちもあった。実際に複数の社会人チームからオファーがあり、練習にも参加したが、「プロの4年間で完全に野手の投げ方になっていたんです。これでは直球のキレやコントロールを取り戻すことは難しい。ピッチャーには戻れない」と断念した。そんな時、トライアウトで渡された一枚の名刺が目に入った。その会社がGLMだった。

「社会人野球では派遣社員という立場も多い。結局は第二の人生を踏み出す時に、就職先を探さないといけない。しかも、22歳の今なら大卒の同級生と横並びの年齢でスタートできる。野球への未練はありましたが、話だけでも聞いてみようと思いました」

脳裏をよぎった恩師の言葉

 GLMの担当者から「不動産投資を通じて、お客様の豊かな生活の実現を目指している」と話を聞いていた時に、ヤクルト時代の恩師・土橋勝征2軍コーチに言われた言葉がふと脳裏をよぎった。

「土橋さんの指導は厳しかったのですが、愛がありました。口数が少ない方でもあるのですが、ある日珍しく『プロは何が何でもポジションを奪いに行く世界だ』と檄を飛ばされたんです。でも、僕は人を蹴落とす気持ちにはなれなくて、それが顔に出ていたんでしょうね。その後、『お前は優しすぎる。人のためになる仕事をしろよ』って、冗談っぽく言われたんです。その言葉がずっと心に残っていました」

 又野さんは「人のためになる仕事」だと確信し、入社を決意。投資用不動産の営業マンとして第二の人生を歩み出した。しかし、ビジネススキルも不動産の知識もゼロ。人のためになりたい思いだけで、どうにかなるほど世の中は甘くなった。

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