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ブレイクから4年。永野、“斎藤工の熱量”に押された映画製作の舞台裏

 かつては「孤高のカルト芸人」と称され、デビューから約20年の下積みを経てブレイクしたお笑い芸人・永野さん(45)。「ゴッホより~普通に~ラッセンが好き♪」というフレーズで、不敵に笑う彼の姿を思い浮かべる方も少なくないのではないだろうか。

永野

永野さん

 あれから4年。彼の興味は映画製作に向かっていた。今月末に公開される映画『MANRIKI』では、原作・脚本を担当。本作の主演である斎藤工さんと共同プロデュースも務めるなど、決して片手間ではない意欲的な姿勢がうかがえる。

 インタビューの前編では、幼少期や学生時代の思い出、デビュー前のエピソードなどについて話を聞いた。後編では、若手時代の苦労話、「ラッセンネタ」のブレイク秘話、今回の映画にまつわる裏話など、さらにパーソナルな部分を掘り下げていく――。

今なら芸人じゃなくてYouTuberに

――遅咲きというイメージの強い永野さんですが、実はデビュー間もなくバラエティ番組に出演されています。この頃は、テレビに手応えを感じなかった?

永野:なかったですね。本当に僕って根元からだらしがなくて。面倒臭がりだし、共演者やスタッフの方とコミュニケーションを取るのもダルかったんです。おまけに、芸能界っていう海に飛び込んだものの、泳げる自信もなかった。

 ただ、芸人を辞めて田舎に戻っても、「大卒に勝てない仕事しか待ってないだろうな」っていう複雑な思いがあって。そこで踏み止まって続けた感じですね。今だったら、絶対芸人じゃなくてYouTuberやってると思います。

永野

――最初に在籍していた事務所のマネージャさんから「頼むからお前から『辞める』と言ってくれ」と懇願されて、一度フリーに転身されたそうですね。

永野:そのときはむしろ、「普通の世界に戻りたくない」って感じでしたね。若さゆえに「この事務所が縛るから、オレのよさが発揮できなかったんだ」みたいに思ってたのもあって。

 とはいえ、辞めたらぜんぶ自分で動くってことじゃないですか。そんな器用な性格でも芸風でもないから、フリー時代の4年間でどん詰まりの地獄を見ましたけどね。