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ブレイクから4年。永野、“斎藤工の熱量”に押された映画製作の舞台裏

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「ラッセンネタ」は絶対ウケると直感

永野

――DVD化もされている「目立ちたがり屋が東京でライブ」は、いつからスタートさせたんですか?

永野:2007年ですね。30代に入って今の母体となる事務所(フラットファイヴ)に拾われた頃で、ぜんぜん仕事もなかった時期。「オレなんて絶対売れないだろうな」なんて思ってたんですけど、アングラ好きなお客さんが異常に僕を歓迎してくれたんですよ。

 芸人として売れる方法はわかんないけど、ライブで変わったネタやると喜ばれる。嬉しいから、とにかく変なネタばっかりやってました。

――2014年末の『アメトーーク!』に出演して話題に。その後、「ラッセンネタ」が世間に知れ渡って、一気に知名度が上がった印象です。

永野:2013年あたりに「ラッセンネタ」の元となる「○○に捧げる歌」っていうネタができたんですよ。BGMを当時のマネージャにフリー素材でつくってもらって(笑)。それから、シュールと言われるようなネタを一切やめて、事務所ライブでも歌ネタばっかりやってました。

 周りは「永野、どうした?」って反応だったんですけど、なぜか僕は「これはポップだし、絶対大衆にウケる」って直感したんですよ。だから、しばらくしてテレビで注目されたときに「ほら来た~!」って。見てる人が「キモ~い」「バカだね~」って率直に言いやすいネタだし、あざといかもしれないですけど、狙って当てた感はありますね。

 その後も、できるだけ“身近な存在”になろうと頑張ったんですけど、2017年末ぐらいにさすがに疲れちゃって。「こんなのもう嫌だ」ってマネージャに伝えてから、好きなことをやろうって流れになりました。映画をつくる流れも、ちょうどその頃と並行してるんですよ。

斎藤工の熱量に押されて映画がスタート

永野

――11月末に永野さんが原作・脚本を担当した映画『MANRIKI』の公開が控えています。

永野:数年前、東京ガールズコレクションに“賑やかし”で出演したんですけど、舞台裏で小顔ローラーをやってうめいている人とか、小顔プリクラでさらに顔を小さくしたがるモデルとかを見て、すごい違和感があったんですよ。

 打ち上げもイケイケな感じだし、「あ~居づらいな」とか思ってたら、ちょうど別件で同じ会場に(斉藤)工くんがいるってことがわかって。さっそく合流して、僕が見た光景を伝えたんです。「そんなに小顔になりたいなら、図画工作の万力で締め上げたら喜ぶんじゃないか」「映画にしちゃおうか」みたいなことを冗談交じりで。

 そしたら、翌日に工くんが「あれ、本当に映画にしましょう」と言ってきて。その熱量に押される形で話がスタートしました。とはいえ、2年間は大手の映画会社から軒並み断られて「こりゃダメだ」と。2018年にLDHさんのハイブローシネマだったらいけるってなってから、ようやく動きはじめた感じですね。

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