bizSPA!フレッシュ

放送作家・高須光聖が語る、戦友・ダウンタウンと伝説のディレクター

暮らし

ダウンタウンと歌合戦で優勝した中学時代

高須光聖

――中学2年生で初めて浜田さん、松本さんの2人と同じクラスに。当時、ダウンタウンさんの片鱗はありましたか?

高須:夏の林間学校のとき、浜田、松本、僕を含めたメンバー5人でクラス対抗の歌合戦に出ようってことになって。替え歌をつくって、ちょっと振り付けしただけなのに、これがえらいウケて優勝したんです。ただ、楽しかったと思うだけで、その頃は2人がいまみたいになるなんてぜんぜん思ってなかった。ましてやプロとして通用するとかテレビに出るなんて、本人も考えてなかったんじゃないですかね。

――その後、3人は別々の高校に。大学に進学されてから、アルバイト先のカフェで現在のロックバンド・ウルフルズのメンバーと出会ったそうですね。この頃に映画を撮りたいと思われたそうですが、刺激になったのでは?

高須:当時はまだウルフルズってバンド名じゃなく、みんな普通の大学生。夢を語り合ったりするとかいうことはなくて、バカ話ばっかりしてました(苦笑)。トータス(松本)は別の支店で働いてたんですけど、終わってから僕らが働いている店に来て一緒に飲んだり遊んだりする感じでしたね。

 もともと中学1年生で『スター・ウォーズ』を見てからSFが大好きになって、映画をよく見てたんです。で、高校ぐらいでいろんな人を喜ばせたいっていう感覚が芽生えつつ、大学に入ってそのカフェで働いて。バイト先のメンバーで旅行へ出かけたときに、テープを回して映画っぽく撮ったりはしてましたけどね。

松本人志に「映画を撮りたい」で放送作家に

高須光聖

――大学卒業後、東京の輸入雑貨店で就職が決まっていたそうですが、店長が肝炎で倒れて閉店。すでに上京されていたそうですが、どんな生活をされていた?

高須:家賃が月3万円のアパートを借りて半年くらいバイトしてました。ナベプロ(ワタナベエンターテインメント)にネタを出してたこともあるんですけど、キャラクターもののコントばっかり書いていったら「こういうことじゃないんだよね」って言われて。いま考えたら向こうはプロやしって理解できるけど、そのときは腹立って途中で行かへんようになった。

 そんなときに松本が仕事で東京に来るというので、久しぶりに会って「映画を撮りたい」って話をしたんですよ。そこで「映画やるんやったら、オレらのブレーンやったほうが近道ちゃう?」と松本に言われて、放送作家をやることになったんです。

おわりもん

おわりもん

ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナイティナイン……多くの煌めく才能と数々のヒット作を生み出してきた著者が挑む、究極の人間讃美の物語。

おすすめ記事