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WBC侍ジャパン選手も愛用の「ミズノ」。国内トップシェアを誇る理由を担当に聞く

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ミズノ株式会社 ダイアモンドスポーツ事業部 事業企画販促部 マーケティング課の中島慶子氏

ミズノ株式会社 ダイアモンドスポーツ事業部 事業企画販促部 マーケティング課の中島慶子氏

先日開催されたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では、侍ジャパンがアメリカとの激戦を制して優勝を成し遂げた。

3大会ぶり3度目の悲願達成に、日本中が熱狂の渦に包まれて幕を閉じた。

そんななか、準決勝・メキシコ戦でサヨナラ打を放ち、決勝戦では値千金の同点ホームランを打った村上宗隆選手のほか、決勝戦で先発マウンドに上がった今永昇太選手、“安心と信頼のヒットメーカー”として出塁率5割を誇った近藤健介選手など、本大会の優勝の立役者として活躍したプレイヤーは「ミズノ」のグラブを使用している。

野球人にとっては定番にして王道のブランドで、今も昔もアマチュア・プロ問わず多くのプレイヤーに愛されているのだ。

ミズノ株式会社 ダイアモンドスポーツ事業部 事業企画販促部 マーケティング課の中島慶子氏に長年ミズノのグローブが野球選手に愛用されている理由や商品開発で工夫していることを伺った。

ポジション別のグラブを初めて販売した

今年で創業117年目を迎えるミズノ。

野球グラブの製造を始めたのは1913年からで、「創業者の水野利八は仕事の合間を縫ってグラウンドに出向くほど大の野球好きで、それがグラブ作りのきっかけになった」と中島氏は話す。

ミズノ株式会社 ダイアモンドスポーツ事業部 事業企画販促部 マーケティング課 中島慶子氏「ポジション別のグラブを初めて販売した」

「当時、一般的だった舶来品(輸入品)のグラブを買ってきて、デザインや型作りの研究を職人が重ねました。これが、クラフトマンシップとテクノロジーを追求するミズノの野球グラブの原点になっています」

最初は、少年野球や学生野球、社会人野球といったアマチュアの野球選手に使われ、1934年に日本プロ野球が誕生すると、次第にプロ野球選手にもミズノの野球グラブが浸透していった。

こうしたなか、ミズノの野球用具が、アマチュア・プロ問わず多くの野球選手に愛され、国内トップシェアを誇るまでに成長したのは、「ミズノが先駆けて野球グラブの変革を起こしてきたのが大きい」と中島氏は語る。

「今でこそ、ポジション別のグラブを使用するのが当たり前になっていますが、昔はポジションに関係なく、全て同じグラブでした。そんななか、ミズノは1934年に世界で初めてキャッチャーミットの開発を行い、さらには1974年に投手、セカンド、ショート、サード、外野手とポジション別のグラブを販売したことで、守るポジションによってグラブを使い分ける礎を作ったんです」

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