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少年院から22歳で年収1000万円 漫画のような「成り上がり人生」

学び

――途中で物事を投げ出してしまうことが多かったんですね。

安藤:はい、塗装屋を辞めて鳶職に就いたのですがそれもすぐに辞めました。お金の話ばかりになりますが、現場で1番上の上司の給料を聞いたら、月収50万円だったんです。当時の自分にとっては大金ですが、あと30年続けてこの金額じゃ無理だなと。

 さらに付き合っていた彼女がお嬢様で。相手方の家には現場職というだけで白い目で見られていたんです。そして、結局フラれました。かなり本気で好きだったんですけどね……。そんなこともあり、自分にはもう現場仕事しかないと思っていたのですが、一生現場仕事などで終わりたくないと見切りをつけたんです。

――そこでネットワークビジネス(マルチ商法・MLMなど連鎖販売取引の総称。ピラミッド型にビジネスが広がっていくことが特徴)に手を出したんですね。

安藤:はい、目先の利益ばかりに目がくらんで、とにかく金を稼げればいいという気持ちでした。しかしまったく稼げなかった。結局はピラミッドの上にいる人間だけが稼げる、詐欺商法だったんです。いってみれば私も下にいる人間を騙していることになります。

 自分がやっていることが正しいことなのか分からなくなり、途中で手を引きました。そのとき一緒にビジネスをやっていた人間はほとんど逮捕されています。ネットワークビジネスが原因で友人も何人か失い、金もない。残っているのは虚無感だけ。そんなとき、三浦代表(株式会社3Backs代表)に出会い、この会社に入ったんです。

リバースラボの第一期生になった

安藤亨浩

「営業マンとしてのビジネスマナーやスキルを学ぶ研修を2週間みっちり学んだ」

――ついに成り上がり人生が始まるわけですね。リバースラボでは当初、営業マンとして活躍されていたそうですが、はじめにしたことは何だったのですか?

安藤:まずは営業マンとしてのビジネスマナーやスキルを学ぶ研修から始まりました。営業マンとしては何一つ知識・経験がないので2週間ほどみっちり。早く現場に出たくて悶々としていたのを覚えています。

――営業ではどんな商品を?

安藤:メディアの受託契約業務です。住所の変更や受信確認、契約の変更手続きを行っています。正直いうと、この会社に入るまで受信料という存在すら知りませんでした。だから「法律で決まっているので払ってください」としか言えず、契約はまったくといっていいほど取れませんでした。もちろん、営業マンとしても素人レベルで、はじめは「俺が成り上がるために契約しろ」くらいのモチベーションでした。

――たしかに営業マンとしては致命的ですね。

安藤:でも、上司の「クレームを出さない営業マンが一流の営業マン」という言葉を聞いて、思い直したんです。そこからは、お客さんがいかに契約内容を理解できるかを考えるようにしました。デキる営業マンって、トークの技術もあると思いますが重要なのは自分が売る商品のことをどれだけ理解しているかに尽きると思うんです。そこで、商材について猛勉強し、1か月後には社内の売り上げでトップになりました。

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