司馬遼太郎の名作をコミカライズした作者に聞いた、仕事への向き合いかた | bizSPA!フレッシュ

bizSPA!フレッシュ

司馬遼太郎の名作をコミカライズした作者に聞いた、仕事への向き合いかた

 新選組副長・土方歳三の激動の人生を描いた司馬遼太郎の名作『燃えよ剣』。過去には映画化もされた本作が、『月刊コミックバンチ』でコミカライズされ再び注目を集めています。

燃えよ剣

『燃えよ剣 1』(新潮社・BUNCH COMICS)

 コンペを勝ち抜いて作画に選ばれた奏ヨシキさんは、現在発売中の最新刊『燃えよ剣 1』(新潮社・BUNCH COMICS)以外にも連載を掛け持ち、漫画家として活躍の幅を広げています。趣味だったという漫画が仕事になるまでのお話や、仕事への向き合いかたについて聞きました。

【インタビュー前半】⇒土方歳三が敵の刀をバク転で回避?司馬遼太郎の名作コミカライズの“遊び心”とは

自分のなかだけで“連載”していた幼少期

――漫画はいつから描かれていたんですか?

奏ヨシキ(以下、奏):もともと絵を描くのは子どもの頃から好きでした。でも、中学生のときに『バクマン。』を読んで「漫画家は無理だ」と思ったんです。「正直、僕はこんなに頑張れない」と(笑)。そう思ってからは、誰にも見せずに趣味として、ルーズリーフやわら半紙に自分で漫画を描いたりしていました。

――『バクマン。』を読んで憧れるのではなく、あきらめたんですね(笑)。子供の頃は、どんな漫画を描いていたんですか?

奏:本当に自分のためだけの、自分が好きなときに好きなものを描くための漫画でした。友達に見せたこともなくはないですが、読み手を楽しませるために描いてはなかったので、あんまり面白くなかったんじゃないかと思います(笑)。大学生になっても、その続きをずーっと描き続けていて。

 5年くらい、自分のなかだけで“連載”していました(笑)。けっこうファンタジーな感じの作品だったので、そのなかでいろんな構図を真似してアクションシーンを描いていたのが『燃えよ剣』に活きてるなと思うことがあります。

漫画は「趣味でいいや」と思っていた

©奏ヨシキ、小松エメル、新潮社

――大学生になっても描き続けていたんですね。

奏:趣味としては一応、ずっと描いていましたね。Gペンとかも使わずに、ボールペンですけど。本当は、大学に通いながら漫画家を目指そうと思っていたんです。じつは大学受験に一度失敗していて。周りの流れにのって、なんとなく受験したんですけど、ちゃんと勉強してなかったので普通に落ちてしまったんです。

「浪人する? どうする?」となったときに初めて「俺、本当は何がしたいんやろう」と考えたことがありました。親にはぽろっと「漫画家、目指したいかも」と言ったりしてましたね。

 でも兄貴に「とりあえず大学は行っとけ」と言われたんです。選択の幅を狭めないためにも大学に通いながら漫画家を目指せばと。それに納得して進学したら、実際のところ遊ぶのが楽しくて(笑)。漫画を本気で描くこともなく「やっぱり趣味でいいや」と思っていました。ていました。

燃えよ剣 1

燃えよ剣 1

時は安政四年。後に「新選組 鬼の副長」と呼ばれる土方歳三は、喧嘩に明け暮れる日々を過ごしていた。農民の生まれである歳三は武士への強い憧れがあった。しかし、身分という壁に抗えず、ただ憧れだけが募る鬱屈とした日々を過ごしていた

ハッシュタグ

おすすめ記事