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塚地武雅、芸人だからこその役者業での魅力「スベることで強くなれた」

暮らし

友達になれるような作品

塚地武雅

――本作で描かれるのは、ほんの少しの変化です。そのことがリアルでした。

塚地:そうなんですよね。だからいいと思いました。映画ってそれこそ、山場みたいなのがあって、クライマックスで、なんなら忠さんが何かしてみんなが拍手したり涙したりするラストになるエンターテインメントみたいなものもありますから。

 映画には、ある種のファンタジーとして、ついていい嘘みたいなのがありますよね。だけど、この作品にはそれがない。そこが魅力なのかなと思います。

 観客はいわゆるわかりやすい感動を求めるものかもしれませんが、監督は、実際に自閉症のお子さんを持つ親御さんの気持ちに寄り添える作品になることを、目標として作ったんだろうなと。でも、「辛いよね」という共感だけじゃなくて、「うちの子もこういうところがあるんです」と笑って話せる、友達になれるような作品だと思いますし。

 それこそ、隣人の顔も知らないような今の世の中ですが、忠さんを知ってもらうことで、繋がりのきっかけにもなる作品になればいいなと思います。

お笑いの道に進んだとき、ほぼ勘当だった

梅切らぬバカ

――塚地さんご自身についても教えてください。ドランクドラゴンを結成したのは25歳くらいの時かと。

塚地:そうですね。24歳で上京して、事務所に入れたのが25歳のときです。

――少し遅めですよね。しかもご家族の反対があったうえでのスタートだったと。

塚地:はい、ほぼ勘当です。

――20代半ばのタイミングで、「どうしてもやりたいんだ!」と背中を押したものはなんだったのでしょうか。

塚地:お笑いは中学生くらいからずっとやりたかったんです。高校進学のときに、そんな話を両親にしたら「バカなことを言ってないで、高校に行きなさい」と。それで高校を卒業するときにも話したら、「大学に行って卒業してから考えなさい」と言われて。

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