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塚地武雅、芸人だからこその役者業での魅力「スベることで強くなれた」

暮らし

芸人の夢を封印して就職したわけ

塚地武雅

――ご両親としては、そのうちに考えが変わると思ったんでしょうね。

塚地:そうですね。なおかつ僕は浪人して大学に入ったんです。予備校にも行かせてもらって大学に入ったし、お笑いなんて夢を言っちゃいけないと思うようになりました。芸能界への憧れみたいなものは、みんな持ったことがあって、それでも消えていくものなんだと自分を納得させて、就職しました。

――気持ちは残っていたけれど。

塚地:働いていくうちに忘れるだろうと。それで仏壇メーカーさんに勤めました。夏を迎えて、いつものように昼休みに同僚や先輩方とご飯を食べたあと、駐車場でバレーボールのトス回しみたいなのをして楽しく過ごしてから、デスクに戻りました。そのとき、机の上に重ねられた2冊の手帳が目に入ったんです。

 社会人になって買った、1年間のスケジュール帳にある白いページの部分に、ネタを書いていたんです。行き帰りの電車の中で。ボケがあってツッコミがあってといったネタや、こんな話面白いなといった、いわゆるネタ帳です。それが2冊重なってたんです。1年目なのに。

このままでは遺言が悔いになる

――スケジュール帳が2冊。それは。

塚地:ネタを書くうちに、2冊目に入ってたんです。その2冊がぱっと目に入って「あれ、ネタ作りなんて社会人として意味のないことなのに、なんで2冊になってるんだろう」と俯瞰で思って、「あ、俺、お笑いがやりたいんだ」と。

――本当の気持ちに気付いたんですね!

塚地:あと、死ぬときに、まあ分からないですけど、たとえば家族がいて孫がいて、囲まれながら病床で死を迎えるとして、このままでは「ああ、お笑いがやりたかった……」と、遺言が悔いになりそうな気がしたんです。それは絶対に嫌だと。「じゃあ、やってみよう」となったんです。

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