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甲子園準V、“本名帰化”第1号…パチンコ大手・マルハン社長が語るルーツとアイデンティティ

ビジネス

「智辯 対 智辯」が注目された2021年の夏の甲子園決勝。ちょうど40年前にも全国から熱い視線が注がれ、今も語り継がれる決勝戦があった。

 1981年8月21日、「報徳学園高校 対 京都商業高校(京都学園高校→京都先端科学大学附属高校)」のスコアボードには当時としては驚きの名前が表示されていた

韓裕氏

甲子園でのバッターボックスに立つ韓裕氏

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「鄭」「韓」。今とは比較にならないほど出自をオープンにしにくい世の中だったが、明らかに朝鮮半島にルーツを持つ名字。球場の観客だけでなく、テレビの画面を見た在日コリアンたちは沸き立った。

 その「韓」という京都商の5番レフトが、現在はパチンコホール経営最大手・マルハンの代表取締役東日本カンパニー社長を務める韓裕(はん・ゆう)氏だった。全3回にわたるインタビュー、第1弾の記事に続く、第2弾をお届けする。

優勝を逃すも「とんでもない反響」が

韓裕氏

甲子園に入場する京都商業ナイン

 本人は気づいていなかったが、韓とチームメイトの鄭昭相は、在日コリアンが本名で選手登録をした大会史上初の事例だった。

 しかも決勝は、のちに近鉄バファローズなどで活躍する報徳の金村義明らを含め、両チーム合わせて7人の在日選手が出場。金村からも「お前、本名で出るのか? すごいな」と声をかけられた。試合は報徳に敗れて準優勝だったが、待ち構えていたのは「とんでもない反響」だった。

「メディアにも取り上げられ、たくさんの在日の人から『お前らは誇りだ』と手紙をいただきましたが、逆に私自身は戸惑っていました。地元は京都の峰山町(現・京丹後市)という田舎で、周囲に在日の人はいなかったんです。母親は日本人ですし、地元の友人も全員日本人。当時は韓国籍でしたが、全く意識したことがありませんでした」(韓裕氏)

韓裕氏

父・韓昌祐氏とのツーショット

「呼ばれたことがない名前で急に出るのも変だな」

 気を遣った監督から「日本名で出るか?」と事前に聞かれたというか……。

「甲子園の舞台に立つことが夢だったのに、地元の友人に『韓が試合に出ている』って気づいてもらえない。呼ばれたことがない名前で急に出るのも変だなって、あまり深く考えずに『自分はそのまま出ます』って言っただけなんです

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