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甲子園準V、“本名帰化”第1号…パチンコ大手・マルハン社長が語るルーツとアイデンティティ

ビジネス

父親から「帰化したらどうか?」

 甲子園をきっかけにルーツを意識するようになったが、再びアイデンティティを揺るがす出来事が起きた。大学に進学し、20歳になると父の韓昌祐氏(マルハン創業者、現・会長)に「日本に帰化したらどうか?」ともちかけられたのだ。

「びっくりしました。高校、大学では在日の友人もでき、彼らと同じように、日本国籍を取ることは韓国のルーツを捨てることだと思っていました。

 でも、父は『アメリカでは当たり前の韓国系アメリカ人のように、日本で生まれ、日本に住み、日本に貢献していくのなら、韓国の血が流れる韓国系日本人として生きていく新しい形もあるのではないか』と言うんです。かなり悩みましたが、最後は自分で帰化することを決めました」

本名のまま帰化した「第1号」に

韓裕氏

韓裕氏

 自ら出した結論は、日本名に変更することでもなく、韓を日本風の読みでなく「はん」のまま日本人として生きることだった

「現在はソフトバンクの孫正義さんなどもいますが、本名のまま帰化したのは私が『第1号』だったんです。当時の帰化申請理由のほとんどは、出自を隠して日本社会で生きていくためです。

 だから、最初は法務省の人から『何のために帰化するんですか?』って全く理解されず、時間がかかりましたけどね」

 在日初の本名で甲子園出場、そして本名での帰化。いずれも韓の人生の転換点にとどまらず、戦後日本の社会史に刻まれたメルクマールだった。

<取材・文・撮影/中野龍 写真提供:マルハン>

【韓裕】
マルハンの代表取締役東日本カンパニー社長。1963年京都府生まれ。京都商業野球部在籍時、第63回全国野球選手権大会では準優勝を経験。1990年株式会社マルハンコーポレーション入社、取締役に就任。1995年プロジェクトリーダーとして「マルハンパチンコタワー渋谷」をオープンし、成功へ導く。取締役営業統括本部長、常務取締役営業本部長を経て、2008年6月代表取締役に就任、現在に至る

1980年東京生まれ。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経てフリーランス。通信社で俳優インタビューを担当するほか、ウェブメディア、週刊誌等に寄稿

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