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苦境のラーメン店で「800食も注文殺到」元ヤン芸人が始めた“独自宅配サービス”

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ラーメンの作り方動画を知人アナが作成

ラーメン

「津多屋」営業中は店主と従業員の2人で切り盛りする

 値段は安いが、こだわりはお店と同様。タレとスープも店のものとは微妙に変えている。

「試作品を妻と義母に食べてもらったら、薄いと言われて。店と同じだとダメだと、醤油の分量を変えています。他にも有名なラーメン屋さんがやっているのを取り寄せて、調べました。タレ瓶といった入れ物はどんなものがいいか、どうやって梱包したらがいいか、参考にさせてもらいました」

 また一部作り方が分かりづらいという声には、知り合いのフリーアナウンサーの庄野数馬さんに協力してもらい、YouTube解説動画をアップした。

 それで、また注文は増加した。しかし、実はほぼ利益は出ていないそうだ。「コロナが明けたらお店に来てほしい、製麺業者はじめ取引先のために始めたので、今はいいです」と津多さんは語る。

ヤンキーからよしもと芸人に

ラーメン

やんちゃだった頃の津多さん。金のネックレスで、ヴィトンのセカンドバックで通学していた(画像は本人のインスタグラムより)

 そんな津多さん、実は吉本興業所属の芸人という一面も持つ。2009年、吉本興業の養成所NSCに15期生として入所。同期は横澤夏子をはじめ、おかずクラブ、鬼越トマホーク、ニューヨークなど売れっ子がずらりと並ぶ。なぜ芸人になろうと思ったのか。

「もともとは特別支援学校の先生になりたいという夢があったんです。高校の時はヤンキーでしたが、学校は皆勤賞。性格も真面目だったので、福祉系の大学に進学にしたんです。介護実習の成績も良くて、実習先の校長先生に推薦状ももらい、大学4年の冬の時点ではそこに就職するつもりでした。ただ、ふと小学校の文集を読んだら『夢は漫才師』と書いてあったんです。それで、この夢を目指したいと思い、芸人になろうと決めたんです」

 しかし、その手段がわからない。するとなんと偶然にも、当時のバイト先によしもと芸人の先輩がいた。その人に教えてもらって、入学の資料を取り寄せた。

「そしたら、入学金が40万円かかると知って、またびっくり。手持ちはなかったのですが、その直後に競馬で40万円勝って。嘘みたいな話ですが、翌日が募集締切日だったので、その賞金でギリギリ入学できたんです」

 NSCではコンビ芸人として活躍するが、卒業後に解散、ピン芸人に。「芸人としてメシが食えるようになるまでに相当時間かかる」と思い、その直後から飲食店を始め、現在に至る。

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