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日本の“多様性”なんてウソ。この国が放置してきたもの<ダースレイダー×映画監督・原一男>

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50年以上前の忘れられない光景

:よくわかります。私は23歳の頃、都立光明養護学校(現・都立光明学園)という肢体不自由児の養護学校で介助職員として働いていたことがあるんですよ。そこで、高等部をもうじき卒業する子たちに「卒業したらどうやって生きていくんだ」って聞いてみると、なんのことはない、大人の身体障害者施設に入るんだと。それを聞いて、ちょっとアジテーションしてみたんです。僕も若かったからね。

「お前たち、自分の力で電車に乗ったことがないだろう。電車に乗って新宿の街に出てみようぜ」と。小田急線の梅ヶ丘に学校があるんですが、ホームに行くには跨線橋を渡らなきゃならない。だから「いいか、階段の下までいって、通りかかる人に頼んでみな。必ず手を貸してくれるから」と言いました。

 私はその様子を遠くから見ていた。そしたら4、5人の大人が車椅子を抱えて上げてくれました。それで駅まで行って、今度は駅員さんに頼んで改札を通してもらい、ホームに行くことができたんです。それから電車がやってきて、彼が乗り込むでしょ。するとすぐ近くの人がビックリするんですよ。当時は車椅子の人って街にいないから。彼の周りだけ空気がフリーズするんです。新宿駅でも、彼が進行するとともに、フリーズの輪が移動していく。それが私には鳥肌が立つほど面白かった。

“ダイバーシティ”や“多様性”なんて嘘

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『れいわ一揆』より

――まさに、障害を持つ人と関わったことで学びを得たという体験ですね。

:私はキーワードとして“他者”という言葉を使っているんですが、脳性マヒの人たちは私にとってまぎれもなく他者であり、その他者の肉体や価値観を自分の中に取り込むことによって、今までとは違う世界が見られると考えています。その意味で、車椅子の少年が見せてくれた世界は私にとって強烈なものだった。これは原体験のひとつだと言ってもいいかなと思います。

ダース:“他者”について、僕もよく考えます。片方の目が見えなくなって、歩くスピードや場所が変わったんですね。例えば新宿駅を歩くときに、通路の真ん中を歩く人たちのペースについていけなくて、端に寄るしかなかったんですよ。そこで初めて見える世界があった。そこには高齢の方だったり、足の不自由な方が歩いていて「あぁ、この新宿駅っていう社会システムのスピードにのれない人たちが、実はこれだけいて、その人たちのためのスペースは全然用意されていないんだ」と気付きました。

――1970年代に比べれば、バリアフリー化などかなり進んでいるとは思いますが、まだまだ十分ではないのですね。

ダース:近年、“ダイバーシティ”とか“多様性”って言ってますよね。でも、僕は「それ、嘘じゃないの?」って思ってます。これらの言葉の箱には「他者をどう迎え入れて、他者とどう共生していくか」っていうことが入っているはず。でも、やっぱり津久井やまゆり園は町はずれにあって、見えないように、見ないように、っていう設計がされちゃってたりする。それって日本社会が多様性はないものと認めていることに他ならないじゃないかと。

 こういうことを、れいわ新選組から国会議員になった重度身体障害者の木村英子さんや舩後靖彦さんが、まさに体現してくれました。「わざわざ金をかけて国会を改造すんのか」とか議論されてましたけど、今までそんなことも考えない幼稚な国会だったってことでしょ。

 健常者にとっての“他者”をどう扱うかという議論が日本で本当にされていない。障害者施設についても、地域の人と共生するという取組みが今増えてきていると思うんですけど、そもそもそんなことを受け入れられるような個人の考えもない。

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