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西武秩父線、開通50周年セレモニー。特急車両引継式にも行ってみた

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5000系の初試運転と祝賀列車の運転士に抜擢

 新井さんによると、公休で在宅中、上司から電話がかかり、「翌日、5000系レッドアローが小手指―飯能間で試運転をするので、見てほしい」という連絡があったという。

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トークショーの最中、3番ホームに101系の各駅停車飯能行きが入線。ホームがすべて埋まった

 翌日、小手指車両基地で5000系レッドアローと初対面。この車両を手掛けた日立製作所も駆けつけ、車内へは「スリッパで歩いてください」と指示されたという。予定されていた試運転は次の日に持ち越しとなったが、運転台を見た新井さんは、101系と同じことに安心したそうだ。実は5000系レッドアローと101系は同一性能なのだ。大きく異なるのは運転席の高さである。

「(5000系レッドアローの運転席は101系に比べ)35センチぐらい上がっていまして、非常に運転しやすい車両でございました。なにか爛々気分と言いますか、いいものを一番初めに試運転させていただけると思いまして。気持ちよく、翌日、小手指(車両基地)―飯能間、試運転やりまして、無事終わりました」

 いよいよ西武秩父線開業前日の1964年10月13日、祝賀開通電車が5000系レッドアローを2編成つないだ8両で運転された。当時、5000系レッドアローは1編成につき4両で、のちに2両増結された。

「小手指(車両基地)で入念に出庫点検を行ないまして、池袋でテープカットがございました。女優の酒井和歌子さんから車掌とともに、花束をちょうだいいたしまして。(中略)まれにみる朝から晩まで、雲ひとつない秋晴れでございました」

 西武秩父線の起点、吾野でも出発式が行なわれ、なんと到着前にホームから線路にかけて、紅白のテープが張られており、祝賀開通電車の停車にかなり緊張されたという。吾野を発車し、西武秩父線の各駅で警笛を鳴らすと、それに併せて花火が上がったという。そして、最後のトンネルを抜けて警笛を鳴らすと、こちらも盛大な花火が上がり、感激したそうだ。

 新井さんは祝賀開通電車の往復ならびに、回送列車の往復、計212.4キロを1人で運転されたという。交代が1度もないのだから、“新井さんが大役を任せるにふさわしい人物”という、期待の大きさという表れなのだろう。

これからのさらなる発展に向けて出発進行

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まもなく発車

 特急車両引継式終了後、特急〈ちちぶ30号〉池袋行きの“ミニ出発式”を開催。使用する第D編成は、この列車より営業運転を開始した。佐藤徹夫西武秩父駅管区長が右手を高々と上げ、「出発進行」の合図で乗降用ドアが閉まり、定刻通り14時25分に発車した。

【取材協力:西武鉄道】

<取材・文・撮影/岸田法眼>

レイルウェイ・ライター。「Yahoo! セカンドライフ」の選抜サポーターに抜擢され、2007年にライターデビュー。以降、ムック『鉄道のテクノロジー』(三栄書房)『鉄道ファン』(交友社)や、ウェブサイト「WEBRONZA」(朝日新聞社)などに執筆。また、好角家の側面を持つ。著書に『波瀾万丈の車両』『東武鉄道大追跡』(アルファベータブックス刊)がある

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