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今年で120年、食堂車の歴史を味わおう。鉄道博物館で企画展開催

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ようこそ、「走るレストラン~食堂車の物語~」へ

 鉄道博物館(埼玉県さいたま市大宮区)は、2019年9月14日から2020年1月19日まで、本館2階スペシャルギャラリー1にて、企画展「走るレストラン~食堂車の物語~」を開催している。

 1899年5月に山陽鉄道(現・JR西日本山陽本線など)が日本初の食堂車を世に送り出してから120周年。波瀾万丈の歴史を5章に分けている。展示の模様を、レイルウェイ・ライターの岸田法眼氏がレポートする。

第1章:食堂車のはじまり

【1860年代から1900年代初めまで】

 食堂車は長距離列車の乗客に対するサービスとして、1860年代にアメリカで誕生した。1872年10月14日に日本初の鉄道が新橋(のちの汐留)―横浜(現・桜木町)間に開業すると、徐々に鉄道網が広がってゆく。

「距離が長い=乗車時間が長い」に着目した山陽鉄道は、1899年5月に京都―三田尻(現・防府)間に日本初の食堂車が連結された。車内は客室と厨房が設けられ、前者はダイニングテーブルと10席分の椅子が用意された。食堂車の運営は、神戸の自由亭ホテル(のちの、みかど)が行ない、メニューは洋食。利用者は富裕層や上流階級が多く、庶民にとっては“高嶺の花”だった。

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石炭レンジの隣にテーブルも展示

 第1章の目玉は厨房で、実際に使われていた石炭レンジが展示されている。石炭を燃料にしたもので、蒸気機関車と同じようにスコップで石炭をすくい、中に入れたあと、コックはフライパンや鍋などを使い、調理していた。コンロやオーブンを設けており、当時としては充分な設備といえよう。また、揺れる車内で調理をするので、手すりも取りつけられている。

 鉄道博物館学芸部の五十嵐健一主任によると、展示された石炭レンジは「実際の食堂車の中で使われていたのかについては、定かではない」という。それでも実物が現存しているのだから、一見の価値はある。

第2章:鉄道国有化後の食堂車

【1900年代初めから1940年代半ばまで】

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様々な資料やパネルを展示

 政府は1906年3月31日に鉄道国有法を公布すると、全国のおもな私設鉄道は国有化された。

 これが食堂車に大きな影響をもたらす。翌日から東海道本線の3等急行列車に初めて和食堂車が連結された。ようやく箸が使えるようになり、一般庶民の利用が徐々に増えていく。やがて大衆化し、食堂車を運営する事業者も増加する。

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食堂車の営業を知らせるチラシ

 五十嵐主任によると、戦前は食堂車の営業を知らせる際、乗客にチラシを配布していたという。案内放送に発展したのは、昭和30年代(1955~1964年)に入ってからである。

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