京急電鉄、昭和初期の名車「デハ230形」リターンズ。赤い雄姿が再び
2代目800形フォーエヴァー
先述した通り、デハ230形は1978年に引退。奇しくも同じ年に2代目800形が登場した(初代800形は、のちの初代1000形)。京急初の省エネ車両で、乗降用ドアは慣例に倣い片開き。ヘッドライトも今では珍しい1灯式である。
2代目800形は「だるま」の愛称で親しまれたが、2019年6月中旬をもって、41年間の活躍にピリオドを打つ。奇しくも同じ年にデハ230形が修繕、2代目800形が引退というのは、ドラマチックな展開である。報道公開日、2代目800形は総合車両製作所向かいの金沢検車区で洗車し、出庫に備えていた。
横浜シーサイドライン:駅の移転で利便性が向上
報道公開終了後、開業30周年を迎えた新交通システム、横浜シーサイドライン金沢八景駅へ向かう(ちなみに路線名は金沢シーサイドライン)。2019年3月31日に金沢八景駅を約150メートル移転し、京急駅に直結したことで、1日平均の乗車人員が約1000人増加した。
開業以来、人身事故は1件もなかったが、6月1日20時15分、新杉田で逆走衝突事故が発生。しばらく運転を見合わせていたが、自動運転から運転士の手動運転に切り替え、6月4日11時に運転を再開した。しかし、運転本数は通常ダイヤの約65%程度となり、路線バスによる振替輸送、代行輸送(新杉田―市大医学部間、平日朝のみ)が継続されている。
金沢八景は警備員を数人配置し、安全対策の強化を図っている。万一に備え、駅の非常ボタンをすぐ押せるようにしているのだろう。
運転再開を待っていた乗客で満員御礼に
16時00分発の新杉田行きが入線。先頭5号車には、ビジネスマンなどが乗り込む。女性運転士が車内に入ると、“手動運転する姿”をスマホなどで撮る乗客がおり、気のせいか緊迫した雰囲気に。暫定ダイヤの定刻通りに発車すると、海沿いを心地よく走る。
産業振興センターを発車すると、住宅地が広がり、幸浦から車内が混み合う。地元の人たちも横浜シーサイドラインの運転再開を心待ちにしていた様子。車窓の“相棒”も海から首都高速湾岸線へ変わり、終点新杉田2番線に到着。こちらも警備員を多数配置していた。
到着後、金沢八景から乗り通したビジネスマンらが「頑張ってください」と女性運転士にねぎらいの言葉をかけた。車両が逆走するという想定外の事態を「不慮の事故」ととらえていたのかもしれない。
過去に例のない事故なだけに衝撃は大きく、原因の解明、再発防止策をたてるまで、運転士の手動運転が続くと思う。自動運転を再開したとしても、当面は運転士が乗り込み、万全を期すのではないだろうか。
横浜シーサイドラインは、これからも通勤、通学、観光客などを乗せ、走り続けてゆく。
【取材協力:京浜急行電鉄、総合車両製作所】
<取材・文・撮影/岸田法眼>