雑誌全盛期を駆け抜けた「風俗ライター」の意外な半生
雑誌が「何でもあり」だった時代
「あの当時は1000~2000字ぐらいの、サブカル系の短いコラム原稿を掲載してくれる媒体がたくさんあったんです。『ぐろぐろ』のもとになった雑誌『BURRN!』も、本来は音楽雑誌なのに、連載コラムでは音楽とは全然関係ないことばかり書かせてもらいました」
インターネットのない時代、雑誌というものは今よりももっと“雑多”で“何でもあり”な存在だったのだ。
30代半ばを迎えていた当時、『ブルータス』(マガジンハウス)で在野の性学者・高橋鐡(てつ)を特集する機会があり、松沢氏は、彼が1949年に書いた『あるす・あまとりあ――性交体位62型の分析』(河出文庫)と出合う。
「この分野なら国会図書館を超えられるな(笑)」
さらに国会図書館で関連資料を探した際、意外なほど関連書籍が少ないことに気がついた。
「セックスや性についての古い本は、国会図書館にもほとんどなかった。そもそも国会図書館が納本を義務化したのは昭和30年代以降なので、古いものについては国会図書館にもないことが意外と多いんです。
高橋鐡の本もそうで、古本屋に行けば簡単に手に入る。だから、この分野だったら国会図書館を超えられるなと思いまして(笑)、そこから性関連の出版物を買い漁るようになりました」
「まだ誰もやっていない」という点に強く惹かれたという。
風俗ライターは「自分なりの切り口で書ける分野」
「すでに誰かがやっているジャンルよりも、誰も手をつけてないジャンルにいくほうが、自分に合っている。先人の多いジャンルって、ライバルも多いからすぐツッコミが入るし、なかなか自由に書けない。
未開拓の分野であれば、自分以外に詳しい人がいないから自論を展開しやすい。ということもあるんだけど、これも性格です。他人がやっていることの後追いをしたくない」
性の分野での執筆が増えていくが、その後、風俗ライターという肩書きに。意外なことに、もともとは根っからの風俗好きというわけではなかったらしい。
「チェックするみたいな感覚で行くことはあっても、熱心に行っていたわけではない。性について語る上では、自分の弱点だと思っていたんです。弱点を克服しようと思って取材を始めました。そしたら、あれよあれよとまた依頼が増えて、だったら風俗ライターを極めるかと。風俗ライターはいっぱいいますけど、自分なりの切り口で書ける分野だなと思っていたんです」
<取材・文/西谷格 撮影/詠祐真>
【松沢呉一】
1958年生まれ。早稲田大学法学部卒。コラムニスト、編集者、フリーライター、古本蒐集家。会社員として音楽や放送、宣伝関係の仕事に携わるなどしてから、何でもこなせるフリーライターへ。タグマにて「松沢呉一のビバノン・ライフ」を配信中