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音楽エリート一家で育った25歳ピン芸人「歌ネタは半信半疑でした」

 童謡「森のくまさん」のプチブレイクで一時は“第二のピコ太郎”と囁かれたパーマ大佐。テレビに登場する機会は多くないものの、SNSにも積極的に取り組み、確実にファンを増やしています。

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ピン芸人のパーマ大佐(25)

 お笑いが大好きで、現在はネタを考えるのと同じくらいの時間を売れ方や現在のお笑い界の分析に費やしているとか。25歳、ミレニアル世代のお笑い芸人である彼に、そもそもなぜお笑い芸人を目指し、そして今のお笑いをどう分析しているのかを聞いてみました。

ピアノ漬けの生活から一転、お笑いの道へ

――そもそもお笑いを始めたきっかけは?

パーマ大佐:『芸能界特技王決定戦TEPPEN』(フジテレビ)でピアノを弾いた(結果は準優勝)ときにも紹介いただいたんですが、僕は音楽一家で育ちました。子供の頃からピアノの英才教育を受けていたんです。有名なコンクールにもいろいろ出ましたし、ひたすらピアノ漬けの日々でした。

 ただ、その生活が僕には苦痛で、当時は死んだ魚のような目をして練習していたんじゃないかと思います。中学からは卓球に夢中になって、ピアノはやめてしまいました。そこからお笑いを見漁るという日々が始まったんです。

――当時観ていたテレビ番組は?

パーマ大佐:当時は「爆笑レッドカーペット」や「あらびき団」の全盛期。浅越ゴエさんの「しっくりこないニュース」っていうネタにハマって、ある日学校でものまねを披露したら大ウケしたんですよ。それが嬉しくて、次は自分でネタ作りに挑戦してみたんです。

中学3年でR-1一回戦突破。しかし父から…

パーマ大佐

――それがお笑い芸人を志したきっかけだったんでしょうか?

パーマ大佐:いえ、当時は将来、数学の先生になりたいと思っていたので、あくまでも趣味でしたよ。ですが大会にも出ていて、中3で運良くR-1グランプリの一回戦を勝ち抜くことができたんです。

 嬉しくなって父に報告すると「お前でも勝ち上がれるなんて、たいした大会じゃないんだな」って言われて、めちゃくちゃ腹が立ちました(笑)。

 その反骨心もあり、さらにお笑いにのめり込んでいくようになりました。もっともっと突き詰めたくなったんです。本当はお笑いがやりたいのに親に学費を出してもらって保険として大学に行くことにも疑問に感じていたので、大学には行かずお笑い一本で生きていくことに決めました。

――もともとは音楽の道に進んで欲しいと思っていたご両親の反対はなかったんでしょうか?

パーマ大佐:最初はあったと思いますね。高2の終わりに東日本大震災が起こったのがきっかけで、「笑顔甲子園」というお笑い大会にNHKのドキュメンタリー取材が入ったんです。

 それを父親が見てくれて、「こんなに頑張っているならとことんやりなさい」と言ってもらえました。R-1グランプリのときのことがあったので、やっと認めてもらえたとすごく嬉しかったですね。