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起業家アイドルを生んだ“過酷な生い立ち”と“ハングリー精神”

コラム

 20代で年収5000万円超え、財界の有力者たちや、歌舞伎役者などの華麗な人脈を持つ、コンテンツプロデューサーの栄藤仁美さん。

舞妓さん

※画像はイメージです(以下同じ)

 京都で7代続く老舗お茶屋の跡取りとして生まれるも一転、中学卒業と同時に、勘当同然でクビに……。16歳でゼロからの再スタートを切りながら、若くして成功している彼女に、これまでの生い立ち、成功に至るための秘訣を聞く本連載。第3回は「知られざる舞妓さんデビュー」についてです。

 お茶屋の女将である母が、お得意様を家にお呼びすることもあって、小さい頃からエグゼクティブと接する機会がありました。

家に帰ると人間国宝がいた幼少期

 家に帰ると、人間国宝の方から財界の大物まで、いろいろな方がいらっしゃるので、「いらっしゃいませ」と挨拶してから自分の部屋に入ったり、ときにはお食事やお酒を飲む席を少しご一緒してお話をしたり。

 そういった経験に加えて、小学校4年生くらいのときには身長も163センチで、顔も体つきも今とほとんど同じになっていたんですよ。

 電話でも「いつも大変お世話になっております」という大人びた応対をしていたので、周りからは「子どもなのに気持ち悪い」ってよく言われてました。でも、自分では常に人から見られている意識があって、そうでないといけないと思っていただけだったんですけど。

「あの子はお茶屋のお嬢様だから」

 ふつうの人にはあまり縁のない世界で面白い体験をすることもありました。京都の三大祭のひとつ「時代祭」で白塗りと和装をして平家物語の牛若丸として歩いたり、歌舞伎に出たこともあるんです。出演するはずだった子役が本番の3日前にケガをしてしまって、その公演の座長が先代の女将と大親友だったこともあって、急にお声がかかって。

 小さい子どもで日本舞踊をしっかり習ってる子なんて、あんまりいないんですよね。他にできる子もいないからって「冥途の飛脚 梅川忠兵衛」という演目に出ることになりました。

 舞妓さんの修行として3歳から始めた日本舞踊、その他にも水泳、ピアノ、茶道、学習塾をふたつ、家庭教師……。毎日これだけの習い事をして、友達と遊ぶ時間もなかったので、学校でも浮いた存在になってしまって。

 時代祭や歌舞伎に出てるのって、周りから見ると、やっぱりちょっと変わった子じゃないですか。周りの子供だけじゃなくて、親御さんたちも「あの子は、先斗町のお茶屋のお嬢様だから」って、遠ざける雰囲気もあったと思います。