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起業家アイドルを生んだ“過酷な生い立ち”と“ハングリー精神”

コラム

 中学卒業したら、自分は舞妓になる――。小さい頃からそれだけを考えて修行をしてきたから、カナダから急に呼び戻されたときは、ついにデビューかと思っていました。ところが急に「舞妓にはならせない」と言われてしまったんです。

 人間国宝の先生に着物を仕立ててもらって、お金をかけて装飾品まで準備して、正式に名前をもらう、ほんの数日前でした。そこからは、本当に何をするべきかわからなくなって。しばらくは家で何もできず、引きこもりみたいに暮らしてました。

恩讐の彼方に培った「ハングリー精神」

栄藤仁美

「ミスiD2017 安藤美冬賞」を受賞した、栄藤仁美

 当時は子供だから事情がわからなかったんですが、私が舞妓デビューするかしないかというときに、周りのお茶屋さんから母が、「娘を舞妓にするなら、あなたの置屋には舞妓も芸姑も派遣しない」って言われたみたいなんです。真偽も真意もわかりませんが、もし本当ならイジメに近い仕打ちであると思います。

 本当に大嫌いな母でしたけど、今振り返ってみる少しは理解できる気がしますね。先代の女将が急に亡くなって、ほとんどゼロからのスタート。当時27歳で15~16歳の若い子を預かって、女将業をやりながら途中から母親になって。もし自分が同じ境遇で同じように仕事をできるかと言われたら、たぶん難しい。

 母は40歳くらいで、周りのお茶屋さんの女将さんたちは70~80歳。大先輩たちを敵に回すわけにもいかないし、忖度して、私との親子関係よりも、お茶屋・置屋の女将として店を守るという決断をした。

 仕方ないとは思いませんし、今あらためて考えると理解できる部分もありますけど……。やっぱり当時のつらい記憶はハングリー精神にもつながっているので、いままで頑張ってこれた理由の大きな部分に「見返してやりたい」「母よりも成功したい」という気持ちがあったのは間違いないですね。

<TEXT/栄藤仁美>

1989年、京都生まれ。コンテンツプロデューサー、「ミスiD 2017」安藤美冬賞受賞。京都の花街で、老舗お茶屋の跡取りとして生まれるも、舞妓になる道を絶たれ、起業。17歳で3000万円の借金を背負うが数年で完済。現在は飲食業を経営する傍ら、さまざまなコンテンツのプロデュースを行う。女子SPA!でも「微魔女」について連載中