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『鎌倉殿の13人』では描かれない?東大教授が教える、源頼朝の“すごい機転”

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御成敗式目の制定で、クリーンな政治を目指す

 カリスマ的存在だった源頼朝が亡くなった後、将軍家をサポートする「執権」として、鎌倉幕府の実権を握ったのは、頼朝の義理の実家である北条氏です。北条氏が武士の政権を運営する上で重要な存在となったのが、鎌倉幕府第三代執権・北条泰時が制定した「御成敗式目」です。これは、「道理」と呼ばれる武家社会での監修や道徳をまとめた、鎌倉幕府の憲法ともいえる立派なものでした。

 なぜ、泰時が御成敗式目を制定したのかというと、かつて泰時が京都に滞在したとき、厳正な法律などに乗っ取って動く朝廷の在り方をみて、「鎌倉幕府は武力だけで世の中を治めようとしているが、武力だけでは政治を運営できないのだ」とハッと気が付きます。

 その後、父の義時が亡くなって、泰時が執権として鎌倉幕府のリーダーとなったとき、「鎌倉の武士たちはただの荒くれ者だと朝廷に思われないように、法律を作ろう」と考えました。そこで、聖徳太子が作った「十七条の憲法」を意識して、17条×3項目という合計51条の法律をまとめたのが「御成敗式目」だったのです。

武士たちから厚い信頼を集めた北条氏

武士

画像はイメージです

「御成敗式目」は現代の私たちが読んでも、読みやすく、わかりやすいです。泰時自身も「誰が見ても『この法は正しい』と言えるようなものを作った」と、弟に自慢するほどの自信作だったようです。

 泰時は、「御成敗式目」を使って法律にのっとった政治を軌道に乗せるために、法律に詳しいエリート御家人を抜擢して「評定衆」という集団を作るなどして、「北条氏だけじゃなく、有力な御家人も政治に参加して、みんなで法を守りながら幕府の政治を運営しよう」と新たな仕組みを生みだします。

 これによって北条氏は、尊敬されるリーダーとして、幕府に属する武士たちから厚い信頼を集めたのでした

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