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織田信長と豊臣秀吉のオモテとウラ。“天才的な人物”と言われるワケは

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 安土桃山時代は、織田信長と豊臣秀吉という、異彩を放つ強力なリーダーたちを生みだした稀有な時代だ。なぜ、大の変人だった織田信長に多くの人が惹かれるのか。また、キレ者で知られる豊臣秀吉は、彼の人生最大の失敗と言われる「朝鮮出兵」をなぜ行ったのか。

清洲城

織田信長の天下取りの出発点・清洲城

 東京大学史料編纂所教授である本郷和人氏に、そんな歴史のオモテとウラを解説してもらった。以下は、本郷和人著『東大教授がおしえる シン・日本史』の一部を編集したものです。

「日本をひとつにしよう」とした男・織田信長

 15世紀末から始まった戦国時代の発端は、1467年の室町時代の終盤に京都で起こった応仁の乱でした。約11年にもわたるこの長い戦いによって、京都は一面焼け野原になり、その後100年間ほど都としての機能を失います。これまで京都で権力をふるっていた室町幕府の存在感が薄くなる一方で、日本各地で勢力を拡大したのが地方大名たちでした。

 彼らが地元で力を蓄え、「幕府の言うことなんて知るか。領地は自分で守る!」と武装を強化し、戦国大名として台頭したことで、日本各地で戦が頻繁に起こり、時代は戦国時代へと突入します。

 そんな乱世で生まれた戦国大名の一人が、織田信長です。織田信長と言えば、「日本の歴史上の人物で誰が一番好きですか?」と質問したなら、必ず名前が上がるほどの人気者。なぜ、彼がそんなに人々を惹きつけるのかといえば、やはり「天下統一」という壮大な野望を抱き、実現させたことでしょう。

日本史上初の独創的な発想だった

シン・日本史

本郷和人著『東大教授がおしえる シン・日本史』(扶桑社)

 若い頃の信長は、尾張の国のお坊ちゃまながらも、腰には縄を巻、ひょうたんをぶら下げ、ヒョウ皮やトラ皮の派手な袴をはくという派手なファッションに身を包んだ、近寄るのもためらわれるようなヤバい人でした。しかし、そんな奇人だったからこそ、「天下を統一して、日本列島を丸ごとひとつの国にしよう」というこれまでの戦国大名の誰も抱かなかった独創的な発想を持てたのでしょう。

 信長は、大胆なアイディア力のみならず、史上類を見ない軍事力も持っていました。室町時代の歴代将軍で最も権力を持った足利義満ですら、日本全国をまとめる力をもたなかったことを考えても、日本全国の大名を屈服させ、天下統一を成し遂げた信長が、室町将軍をも上回る力を保持していたことは間違いありません。

 織田信長は、その発想力と軍事力で、日本というひとつの国を作る構想を、歴史上最初に抱いた天才的な人物だったのです

東大教授がおしえる シン・日本史

東大教授がおしえる シン・日本史

史上初めて「日本をひとつにしよう」と考えた男・織田信長が、目的のためなら虐殺もいとわない魔王だった!古墳時代から昭和時代まで、40の項目のオモテとウラを1セットで学ぶことができる、子どもだけでなく親も興味津々の一冊

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