『鎌倉殿の13人』では描かれない?東大教授が教える、源頼朝の“すごい機転”
裏ではライバルを殺しまくってきた北条氏
「御家人同士が手を取り合い、法に基づいた清く正しい政治を運営していこう」という信念のもとに始まった北条氏の政治は、一見クリーンなものに見えますが、実はそこに至るまではドロドロとした知略謀略に満ち溢れていました。
というのも、もともと北条氏は、現在の静岡県にある伊豆国に拠点を持つ50人程度の小さな武士団でした。武力で正々堂々と戦おうとすると、有力な御家人にすぐつぶされます。そこで、執権として幕府の実権を握るまで、北条氏はライバルたちを罠にかけてだまし討ちにしては、殺しまくってきたのです。まさに血塗られた一族だったのです。
本来は、源氏将軍家が握っていた幕府の実権を、執権として北条氏が握るようになったのも、その知略謀略のたまものでした。
100年以上続いた独裁政権を築く
「朝廷と手を組んで、なんとか幕府の存在を認めてもらうべきだ」と唱えていた源氏の将軍家に対して、北条氏は表では賛同しつつ、裏では「将軍様は、京都の朝廷のことばかり気にして、武士のことを気にしてくれない。でも、武士には武士のやり方が会ってもいいと思わないか?」と、鎌倉の武士たちにささやきます。
このように北条氏が情報操作をした結果、武士たちは「将軍様は俺たちよりも朝廷のことを考えている」と反感を抱くようになり、ついに三代将軍の実朝は暗殺されてしまいます。
その後、将軍家の代わりに実権を握るようになったのが、北条氏でした。
表向きは武士による秩序のある政治を行うよいリーダーのように振舞っていた北条氏ですが、その後も自分たちに歯向かう人間を罠に陥れ続けます。そして、北条氏はだんだん勢力を拡大し、100年以上の長きに渡って独裁政権を続けました。
<TEXT/歴史学者 本郷和人>