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ヤマダに吸収された「大塚家具」がニトリ、IKEAになれなかった理由

ビジネス

 2022年2月15日、株式会社ヤマダデンキは傘下の大塚家具を同年5月に吸収合併することを発表しました。創業者の娘・大塚久美子氏の体制のもと、2019年12月にヤマダデンキの子会社となった大塚家具ですが、吸収合併によって法人としては消滅することになります。

大塚家具

IDC大塚家具 新宿ショールーム ©yu_photo

 父娘による経営権争いがイメージダウンとなったほか、久美子氏の経営が業績悪化につながり、ヤマダデンキの傘下に入らざるを得なくなってしまった同社。どのような方針を取るべきだったのでしょうか。今回の記事では、生き残れたかもしれない「If」のルートについて考えていきます。

大塚家具の生い立ちと父娘の対立

 大塚家具はタンス職人だった大塚勝久氏が1969年に創業しました。もともと家具生産が盛んだった埼玉県春日部市に第1号店を開店し、1970年代は埼玉県で店舗を拡大。1978年には都内1号店を開店、1984年には本社を有楽町に移転します。

 1993年には全店舗を「ショールーム」と称して会員制を導入し、初見の客が入店すると店員はヒアリングを行って名簿に顧客情報をまとめました。高品質の家具を揃え、販売員がマンツーマンで接客するスタイルはこの時に確立しています。

 新婚やマイホーム購入時に立ち寄るような店舗であり、消費者の間では単価の高い高級志向の店舗として認識されます。1994年には神戸に関西第1号店を設置して以降も、新宿・名古屋・梅田など全国の中心地にショールームを展開していきました。

2020年12月に久美子氏も退任

株主総会

画像はイメージです(以下、同じ)

 残念ながら近年、同社が脚光を浴びたのはポジティブな内容ではなく父娘の経営権争いによるものです。2015年にあらわになった両者の争いは「お家騒動」として報道され、連日ワイドショーをにぎわせました。もともと2009年から娘・久美子氏が社長となり、2014年7月まで大塚家具を経営していました。

 同年7月からは再び父・勝久氏が指揮をとることになりますが、15年1月に久美子氏が社長に復帰します。これに対して勝久氏は同年2月に記者会見を行い、「久美子氏が社長のままでは社員が辞めてしまう」、「悪い子を作った」という趣旨の発言が注目されました。

 最終的に2015年3月の株主総会で勝久氏が会長を退任する形で騒動は収束しましたが、その後の久美子氏の経営は上手くいかず、ヤマダデンキのもと2020年12月には久美子氏も退任となりました

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