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福山雅治が鉄道車両を購入か?秘密は、名曲で歌われた絶景に

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実は福山氏は保存予定車両と縁がない…?

 さて、冒頭で述べたとおり、キハ66・67系はもともと筑豊地区に配備されていた車両だ。キハ66・67系も製造当初はベージュと朱色に塗られていたものの、長崎にやってきたのは筑豊本線が電化された2001年のこと。そのため福山氏が子供のころに走っていた「ベージュと朱色のキハ」は、正確には先代の「キハ58系」である可能性が高い

 キハ58系は国鉄が1960年代から1970年代にかけて合わせて約1800両も製造した急行型気動車で、一貫して九州のみで活躍したキハ66・67系とは異なり、その姿は全国各地で見ることができた。ちなみにキハ58系についても2019年までにJR各社から姿を消している。

JR九州

ベージュと朱色の国鉄色を纏ったキハ58系。現在はこちらも引退済み(JR富山駅)

 キハ66・67系とキハ58系は異なる形式とはいえ、両者とも国鉄が1960~70年代に製造した地方線向け急行型ディーゼルカーであり、運転台の高さが若干違うものの外観はソックリ。両者ともに国鉄時代には多くの車両が福山氏思い出の「ベージュと朱色の国鉄急行色」となっていた。そのため、福山氏が「思い出の車両のひとつ」として保存に関わるとしてもおかしい話ではないだろう

 ちなみに両者は外観がほぼ同じといえども、キハ66・67系はキハ58系よりもエンジン出力が大きく、さらに製造当初から冷房を完備。座り心地の良い転換式クロスシートとラッシュ時に対応するロングシートの両方を備えるなど、1970年代当時としては「画期的かつ近代的」な設計であった。

 こうしたこともあり、キハ66・67系は1976年には鉄道友の会がデザイン・技術面で革新的な車両に贈る「ローレル賞」を受賞。優等列車から通勤時間帯の普通列車まで幅広く対応できる設計が幸いし、末期までハウステンボスを経由する快速列車運用に就くなど、約半世紀にわたって活躍することとなった。

保存場所によっては早く痛んでしまう恐れも

JR九州

キハ58系とそっくりだが僅かに運転台が高く面長の印象を受けるキハ66系(JR諫早駅)。事故時の運転士保護の観点もあったほか運転台にも空調設備があり、そうした意味でも当時としては「画期的」だった

「名車」として知られ、フカフカのシートで長崎県民と旅行客から愛されたキハ66・67系をゆかりの地で保存することは、産業遺産保存の観点からも大きな意義があるといえよう。しかし、仮に保存が決まったとしても、大事なのはその「保存場所」「保存方法」だ。

 使わなくなった車両は放置していれば朽ち果ててしまうのは当然のこと。とくに海風が当たる地区が多い長崎県では、保存場所によっては予想以上に早く痛んでしまう恐れもある。番組のなかでリスナーは「ぜひ将来長崎にできるであろう『福山雅治ミュージアム』に保存しては」と提案しているが、果たして――。

JR九州

かつては「画期的な車内設備」であったが、国鉄マークの温度計があるなど今となってはレトロそのものだった

 現在、約半世紀の活躍を終えたキハ66・67系は廃車回送され、熊本市や大分市などの車両基地で静かに眠りについているとみられる。この車両たちが、再びキラキラと光る長崎の海を見る日が来ることはあるのだろうか。

<取材・文・撮影/愛須圭一郎・淡川雄太・若杉優貴(都市商業研究所)>

若手研究者で作る「商業」と「まちづくり」の研究団体『都市商業研究所』。Webサイト「都商研ニュース」では、研究員の独自取材や各社のプレスリリースなどを基に、商業とまちづくりに興味がある人に対して「都市」と「商業」の動きを分かりやすく解説している。Twitter:@toshouken

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