五輪を技術で支えた日本のスゴい会社たち。利益率驚きの20%超えのところも
マウンテンバイクに本気で向き合ったシマノ
シマノは世界進出の足掛かりとして1965年にアメリカの現地法人を設立します。このとき、社員はアメリカ全土の小売店を飛び回ったといいます。
顧客からのクレームでどんなものがあるのか、何の商品が売れているのかといった情報を徹底的に吸い上げました。それと同時に自社の製品の売り込みを行ったのです。
アメリカ法人の社長は4代目社長の島野喜三氏でした。喜三氏は日産の販売会社で働いた経験があり、いわゆる泥臭い営業スタイルが染みついていたと言います。ヒアリングした内容を製品にフィードバックし、シマノは製品開発力を上げていきました。
1980年代に入って大転換を迎えるきっかけができました。マウンテンバイクの登場です。悪路を走るマウンテンバイクは、カリフォルニア州のごく一部の愛好家が楽しむマニア向けのものでした。自転車のパーツに泥や砂利はご法度。悪路を走ることは想定外です。
メーカー各社はマウンテンバイクの市場は小さいと判断し、特殊な用途向けの部品開発を本格化することはありませんでした。
利益率20%という他社を寄せ付けない強さ
マウンテンバイクに商機を見出したのがシマノただ1社。世界各地から砂や土を集め、製品テストを繰り返したのです。そうして生まれたのが現在でも主力ブランドである「デオーレ」でした。
やがてマウンテンバイクは世界的な人気を獲得して市場が急拡大。メーカー各社は慌てて市場に参入しようとしましたが、愛好家はシマノブランドに対して絶大な信頼を寄せていました。圧倒的なシェアを獲得するのです。
現在、シマノの自転車部品のシェアは85%程度と言われています。愚直なまでの営業スタイルと製品開発努力がシェア獲得に結実し、営業利益率20%という他社を寄せ付けない強さの源となったのです。