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“戦力外Jリーガー”が売上370億円企業の経営者になれた理由「前向きな撤退だった」

ビジネス

父から「3兄弟で会社を作れ」と言われ…

――その後、独立を考えるまでには何があったのでしょうか?

嵜本:僕の上に2人の兄がいるのですが、実は、家業を継ぐと同時に父親からは「3兄弟で会社を作れ」と言われていたんですよ。いまだにどういった意図があったのかはわかりませんが、おそらく、責任感を持てという意味だったのだと思います。だから、自分が入社してから数年後、兄弟と一緒にリユース事業を手がける「MKSコーポレーション」を作ったのが最初の足がかりでした。

 そこから、3兄弟でいろいろなチャレンジを繰り返していきましたね。2007年に「なんぼや」を立ち上げたのですが、父親が西宮市に買った土地を利用して、兄弟そろってアイデアを出し合い「パティスリーブラザーズ」というケーキ屋も手がけました。リユース事業と洋菓子事業の柱でどちらも上手く行っていたのですが、2011年に「そろそろ3兄弟で別々に別れようか」という話になり、兄2人が洋菓子事業を、僕がリユース事業を引き継ぎ、それぞれが独立することになりました。

――兄弟それぞれ、独立してからはどのような関係になりましたか?

嵜本:兄弟ではありながら、ライバルのような関係だと思います。でも、共通のLINEグループがあり、連絡は頻繁に取り合っていますね。珍しがられるけど、仲がよくて。父親も含めて、おたがいの事業にとって有益な情報をシェアし合っています。

 それぞれ別れてよかったのかといわれれば、みんな、お互いに別れたい気持ちを持っていたのだろうと思います。多かれ少なかれ意見もぶつかるし、一緒にやっていたときは、僕らに付いてきてくれる従業員も「誰の声を聞けばいいのか」と混乱していたんですよ。

 たがいに手を取り合いながら、事業が上手く行っていたタイミングで別れられたのはよかったと思えますが、それは、父親がそうなるように地図を描いてくれていたからでもあります。

人格者である父への思い

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――お父さんがきっかけを作ってくれたのですね。

嵜本:25〜26歳のときに「3兄弟で会社を作れ」と言われたのですが、任せてくれたのはよかったなと思います。周りの親子でやっている会社を見ると、父親が手伝っている息子に対して「お前はまだまだ甘い」と叱咤しているケースもあって。ただ、そういった会社は高い確率で衰退していっているように感じます。

 今思えば、父親の意思決定や経営判断は間違っていなかったんだろうと思います。ただ、父親は元からそういった考えではなかったと、あとで聞きました。父親が考え方を切り替えられたのは、たまたま知人の方から「もう、息子さんたちに任せれば」と助言をもらったからだそうです。だから、きっかけを作ってくれたその方にも感謝したいです。

――ご兄弟はもちろん、嵜本さんの人生にはお父さんの影響が多々にじんでいる印象があります。今や、同じ経営者という立場になりましたが、お父さんを超えたいという思いはありますか?

嵜本:ずっと持っていますし、今もですね。人としての器の大きさやふところの深さは偉大で、根っからの人格者なんですよ。父親は、自分すらも度外視で他人の幸せを追求できる人で。ぜいたくも一切しないのですが、「家族のためにオレは仕事を頑張る」という一心で、働き続けてくれたのは3兄弟そろって尊敬しています。

戦力外Jリーガー 経営で勝ちにいく

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