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『ハウルの動く城』を解説。型破りで真っ当な“恋愛映画”になった6つの理由

暮らし

2:ハウルの欠点も含めて愛するソフィー

ハウル

 ソフィーは、そんなふうに問題(欠点)だらけのハウルのことも愛します。魔女サリマンの前で「確かにわがままで臆病で、何を考えているか分からないわ。でも、あの人はまっすぐよ。自由に生きたいだけ。ハウルは来ません。魔王にもなりません。悪魔とのことは、きっと自分で何とかします!」と高らかに宣言し、終盤では「私たちがここにいるかぎり、ハウルは戦うわ。あの人は弱虫がいいの」とその身を案じながらも、その「弱さ」をも肯定するのですから。

 また、宮崎駿監督はハウルについて、「バーチャルリアリティー(つまり魔法)の中にいて、おしゃれと恋のゲームしかできない、目的とか、動機が持てない若者の典型ともいえるでしょう」と語っています。序盤に「南街のマーサ(原作小説ではソフィーのもう1人の妹の名前)って子、ハウルに心臓取られちゃったんだってね!」などと噂が立てられているのは、ハウルがプレイボーイのように女性に接してきたか、またはその気がなくてもたくさんの女性のハートを盗んできた(恋をさせた)こと、しかし本当の愛を手に入れられなかったことも示しているのでしょう。

 そんなハウルを心から愛してくれたのは、その見た目の美しさや、うっとりしてしまう行動だけに耽溺することなく、「その欠点を含めて愛することができた」ソフィーだったのです。これは、今までおしゃれと恋のゲームしかできなかったであろうハウルにとっての、恋愛映画としてのハッピーエンドです。

3:ハウルはソフィーの美しさを(おそらく、これからも)肯定する

ジブリ

 ソフィーは荒地の魔女に老婆になる呪いをかけられましたが、ソフィーはそのおかげで「長女の自分が帽子屋を継ぐ」という重責から逃れることができ、「動く城の部屋を掃除する仕事」も自分の判断で手に入れて、自身を助けてくれたハウルに再会して恋人にもなれました。ソフィーにとっても、これは恋愛映画としてのわかりやすいハッピーエンドです。

 また、「美しくなかったら生きていたって仕方がない」とまで言ってしまっていたハウルでしたが、「ハウルの力になりたいの。私きれいでもないし、掃除くらいしかできないから」という自虐的な物言いをするソフィーに対して、ハウルは「ソフィー、ソフィーはきれいだよ」と返していますし、ラストで目が覚めた時にはソフィーを見てすぐに「髪の毛、星の光に染まってるね。きれいだよ」と言っていました。

 前述した通り、ハウルは自分の美に執着をしすぎていているダメなところがあるのですが、自分の以外の存在、愛するソフィーに対しては、ストレートに彼女の美しさを肯定しているのです。

 なお、劇中では荒地の魔女にかけられたソフィーの老婆になる呪いが解けたという明確な描写はありません。「心の年齢」が見た目に反映されるためか、たびたびソフィーは元の若い姿に戻っています。このことについて、宮崎駿監督は「他人に老婆になる呪いをかけられ、若い娘に戻ることができてハッピーエンドにしてしまったら、年寄りがみんな不幸ということにもなる。若い娘は必ず年寄りになるんですから、そうしてしまったら、先には不幸しかないってことになります」と答えています。

 そして、ハウルはソフィーの老婆としての姿について、否定も肯定もしていません。おそらくは、ソフィーがその後に本当に歳をとっておばあちゃんになったとしても、「きれいだよ」と言ってくれることも想像ができます。

 何しろ、歳をとってシワだらけのおばあちゃんになったしても、「星の光に染まったきれい髪」はそのままでしょうから。また、ハウルが言う「ソフィーはきれいだよ」は、見た目ではなく「心がきれい」であることを指しているのかもしれないのですから。

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