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「自分が本当にやりたいことがわからない」そんな悩みへの回答

コラム

「自分が本当にやりたいことって何なんだろうか……!」

 この記事では「DECODE哲学書専門の本屋」を運営している私が、日常生活や仕事における疑問や悩みについて、先人の哲学者たちの智恵を借りながらその検討方法を考えていきます。

哲学

※イメージです(以下同じ)

 今回は「本当の自分に分からなくなった」ということについて。仕事や家庭の場面で、みなさん1度や2度は思ったことがあると思います。さて、今回はどんな哲学者がなにを教えてくれるのでしょうか。

「本当の自分」はどこにあるのか

Q. 今回のお悩み(20代・会社員)

 私は某食品メーカーで営業として働いています、◯◯と申します。日々仕事をしていく中で、特に大きな不満があるわけではないのですが、時々この仕事が本当に自分のしたいことなのか分からなくなる時があります。

 果たしてこのままこの仕事を続けていいのだろうか、本当に自分に向いているものなのか、と考えてしまうときがあります。近年の新型コロナウィルス拡大の影響もあり、自分の仕事が何か社会に貢献できているのかも感じられなくなり、胸を張って誇れる仕事なのか少しぼんやりしてきました。

 その一方で、テレビやネットに出演している有名な方たちは、才能があって自分自身が活躍できる場を知っていて羨ましいです。あの人たちは自分の軸を持っていて、そういう大きな出会いが若い頃にあったのかと思います。

 しかし、私にはまだそういった類いの出合いもなく、それがあればもっと人生が迷いなく生きていけるだろうになと感じます。私はどう生きていくのが自分にとって正解なのか、見つけることはできるのでしょうか?

サルトルの言葉「自由の刑に処せられている」

哲学

 今回はこちらのお悩みに対して、現代フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)の言葉を紐解きながら考えていきたいと思います。

 まずは今回の悩みについて、その原因はどこにあるのでしょうか。サルトルは彼の主著『実存主義とは何か』でこんな言葉を残しています。

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<人間は自由である。人間は自由そのものである。<中略>われわれは、われわれの背後にも前方にも、明白な価値の領域に、正当化のための理由も逃げ口上ももってはいないのである。われわれは逃げ口上もなく孤独である。そのことを私は、人間は自由の刑に処せられていると表現したい。
 刑に処せられているというのは、人間は自分自身をつくったのではないからであり、しかも一面において自由であるのは、ひとたび世界のなかに投げ出されたからには、人間は自分のなすこと一切について責任があるからである>(『実存主義とは何か』(1953) J−P・サルトル 伊吹武彦/海老坂武/石崎晴己訳,人文書院)
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 この「自由の刑に処せられている」という表現は彼の有名な言葉で、前後の文脈を汲み取ると、人間は生まれたその瞬間から自由であり(投企性)、そこからは逃れることができず、その行動には全て責任を負うものであるということを意味します

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