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なぜ起きる?「どうしても意見が合わない」を乗り越える“哲学的な思考”

コラム

「どうしても、この人の考え方には理解できない!」

 仕事や恋愛にかかわらず、生きていると、こうした悩みを持つことは避けられませんよね。この記事では、「DECODE哲学書専門の本屋」を運営している私が、こうした日常生活や仕事における疑問や悩みに対して、先人の哲学者たちの思考をもとにその考え方を深めます。今回は「人と意見が合わない」ということについて。

哲学

※イメージです(以下同じ)

 仕事をしている人に限らず、全ての人にとって乗り越えなくてはいけない、この問題。さてどんな哲学者がどんな教えをくれるのでしょうか。

意見が合わないのは仕方ないことなのか?

 私たちは日々暮らしていると、どうしても「この人とは考え方が合わないなあ」とか「自分の意見をなぜか理解してもらえない」なんていう場面に遭遇します。

・職場の上司や同僚と、業務の進め方について意見が合わない。
・恋人や夫婦間で、些細な家庭でのルールが受け入れがたい。
・親に、打ち明けた将来の夢を猛反対された。

 こうしたことが起きると、私たちは「自分の考えをなんで分かってもらえないんだろうか」「どうしてそんな考えに至ってしまうのだろうか」と考えて、どうしようもなく反発したり塞ぎ込んでしまったりしてしまいます。

IT系企業の執務室での出来事

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 こんな場面(とあるIT系企業の執務室での出来事)もその一例のようです。

上司「例のA社様WEBサイトリニューアルの件だが、リリースまでスケジュールが少しタイトな進捗状況なようだな。サイトリリースの遅延は許されないから、念のため来週予定していた結合テストを今日残業してでも実施をお願いしたいのだがどうだろうか?」

部下「(え、残業か。嫌だなあ)今日は他の業務が詰まっていて厳しいです。それに今回の結合テストはあまり遅延のリスクはないので、来週でも問題ないかと思います」

上司「このプロジェクトは少しの遅延も許されない。私はその可能性をできる限り減らしたいんだ」

部下「とは言いましても、過去の実績上リスクは限りなく低いので、その懸念は必要ないかと思います」

上司「いや可能性があることは間違いない。もしそれで遅れてしまったら誰が責任取るんだ」

部下「……」

 これでは、お互いが意見に合意して和解されるということはなかなか難しそうです。おそらくこのまま平行線で終わってしまうことになるのではないでしょうか。

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